(その3の要旨) 日本は戦国時代から江戸時代前期に急激な人口増があって、それに伴う燃料、資源調達のためにハゲ山だらけになった歴史がある。かつてはムラの周辺には里山が広がり、自然と人間が調和した暮らしをしていたというのは一面的な見方だ。

現在の日本は緑豊かな国であるといえる。その理由の一つは、森林ととっていい感じの気候だから。

しかし、少し歴史を遡ってみると、いつでも緑に覆われていたわけではないことが分かる。古い写真を見ると、軒並みはげ山だらけ。それはこの幡多地区も例外ではなく、下の下ノ加江、宿毛、岩間、みんなはげ山になっている。

更に遡って江戸時代の絵を見てもやはり山に木は少ない。

その理由は明らかで、かつては山にエネルギー、食糧、肥料他の資源を依存していたから。今いわれる里地、里山などには草地が広がっていた。

では、いつ頃から山が禿げたのか。それは日本の人口動態と関係している。近代以前に日本は二度の人口急増を経験していて、それが戦国時代と江戸時代初期(※注1)。利用できる土地は切り開かれ、山もその例外ではなかった。

結果、山はどんどん禿げて行った。今世間に喧伝される持続可能な循環型の系としての里山というのはイメージ先行の誤解で、実は搾取の末の自転車操業的な系だったとすら言える。それが、石炭や石油などのエネルギーの普及により放置され、山に緑が戻っていった(※注2)。

注1:前者は土木技術の進化に伴って戦国大名達が競って暴れる河川を押さえ込み新田開発をしていった時期。後者は江戸幕府の政策もあって全国的に新田開発が進んだ時期) 注2:このことは池田清彦氏などもいろいろな所で指摘しています。

☆本メモは比嘉先生のご講演を基に事務局長神田がまとめたものであり、先生のお話そのものではありませんので、その旨ご了承ください。

比嘉基紀先生「日本の土地利用の変遷と生物多様性・その保全」@四万十川自然再生協議会総会記念講演 その4へつづく