海を目の前に四万十川の流れを阻む山々。そして生まれた新たな土地。

飛行機に乗ると、高知の川の多くが、北にある四国山地からほぼまっすぐ南流しているのが分かります。四万十川も、源流から四万十町窪川までは南へ流れ下ります。ここまでくれば、海まであと10㎞もありませんが、隆起した山々に行く手を阻まれ、進路を西に変えます。海に並行して流れるようになり、四万十市の下田で太平洋に出るまで、約130㎞という長い旅路が始まるのです。

蛇行を繰り返しながら西へ流れる川は、カーブの内側に平坦な土地を作りだし、人々はそこに集落を形成しました。隆起がなければ今の集落はなかったのか も…そう思うと、ロマンがありますよね。

はるか昔、四万十川は黒潮町に流れていた?

山から海に向かって直線的に流れる、これが日本の河川のスタンダードな形ですよね。しかし四万十川はいったん海に近づいたにもかかわらず、急に山側に舵を切って山に沿って流れるという不思議な流れ方をします。なぜこんな流れ方をするのか、実は最初四万十川は一般的な河川同様直線的に流れて海に出ていましたが、窪川あたりで山が隆起したことによって南から西に進路が変わり、海と並行するように山に沿って流れるようになったのではないかと考えられています。かつての四万十川は今の四万十町興津から海に出ていた、または伊尾木川と合流し、黒潮町佐賀から海に出ていたのではないかと推測されています。

興津の海と隆起した山(土佐興津展望台より)

西流したことで、四万十川は幹線流路延長196㎞、四国一長い川となりました。

関連施設

土佐興津展望台

概要
興津港が一望できる絶景スポット。ここから海を見ると、窪川の町と四万十川がどれほど海から高いところにあるか実感できるでしょう。
所在地
高知県高岡郡四万十町興津