長さも高さも形もさまざま。全部でいくつあるのか、実は誰もわかっていない。

広い川に架かる「ながーい沈下橋」は、四万十川観光の大定番ですが、支流も多く流域面積も広い四万十では、地形や地域の事情に合わせた、一風変わった沈下橋もあります。

上流になるにつれ沈下橋も少しずつ短くなります。米どころの中土佐町大野見には、農業用の堰の上に作られた沈下橋が、さらに上流の津野町では沈下橋の原型ともいえる「流される木橋」など、一口に沈下橋と言ってもバリエーション豊か。

昔から自然に逆らわず、うまく川と付き合いながら暮らしてきた証しなのです。

実はこれらの沈下橋、全部でいくつあるのか、いまだにはっきり分かりません。

高樋沈下橋 (中土佐町)

四万十川本流にかかる沈下橋の中で1番上流にあるのが高樋沈下橋です。1番上流なだけあって橋の長さも短め。対岸にある農地へ渡るために作られたもので、今でも住民の方が使っています。沈下橋が架かっている場所にはかつて農業用の堰がありましたが、少し下へ堰を移したため、元あった堰の上に沈下橋が作られている、ちょっと変わった沈下橋です。沈下橋ができる前は板橋がかけられていましたが、堰を下流に作り替えて以降、板橋が浮くようになったため、沈下橋が作られました。下に作られた堰のおかげで流れも穏やかで、グリーンに澄んだ水がとってもきれいです。夏場は地元の子どもたちが川遊びを楽しんでいます。

早瀬の一本橋(流れ橋) (津野町)

津野町芳生野の北川川に架かる板橋。奈路地区と対岸の下野地区を結び、諏訪神社への参拝や農地に行くために現在も地域住民が使っている大切な生活道です。石積みの上に木の板を架けただけのとてもシンプルな構造で、沈下橋の原型であると言われています。増水時には板橋が流されることから、「流れ橋」とも呼ばれますが、橋板は両岸の木とワイヤーで結んでいるため流失することはありません。増水で板橋が流された後は、地域住民が協力をして橋板を戻しており、橋を管理する橋当番も両岸の集落で持っているそうです。
川幅も狭く水量も少ない上流部や支流では、板橋やゴンドラでの渡河がみられました。早瀬の一本橋はそんなかつての四万十川上流域の暮らしを伝える貴重な財産です。

一本橋のすぐ近くには芳生野が生み出した幕末の志士、吉村虎太郎の生家を復元した吉村虎太郎邸があります。茅葺屋根の歴史情緒あふれる建物では、軽食が楽しめる他、吉村虎太郎の生涯を紹介していますので休憩がてら訪れてみてください。

大古味のゴンドラ (津野町)

沈下橋ではありませんが、渡河の方法としてここで紹介しておきたいのがゴンドラです。津野町の最南端に位置する大古味地区。そこの北川川に架かるのが、大古味のゴンドラです。先ほどの一本橋からは10㎞ほど下流にあります。対岸の農地に行くために作られたもので、かつては板橋が架かっていたそうですが、度重なる流失もありゴンドラを設置したそうです。約60mのワイヤーに鉄の棒でできたゴンドラを吊るし、川を横断します。残念ながら現在は使われていませんが、かつては対岸の農地へ渡る唯一の方法として、住民と農作物を運んでいました。山間部の暮らしを伝える貴重な資料となっています。

関連施設

早瀬の一本橋

概要
沈下橋とも原型とも言われる板橋。石積みの上に板をかけただけのシンプルな橋で、大水の時には流されることから「流れ橋」とも呼ばれる。両岸の大木にワイヤーで繋がれていることから流失することはない。
所在地
高知県高岡郡津野町芳生野(吉村虎太郎邸すぐ近く)

高樋の沈下橋

概要
四万十川本流で一番上流にあり、かつての農業用の堰の上に作られた珍しい沈下橋。すぐ下流に堰堤があるため、流れは穏やかで青く澄んでいる。
所在地
高知県高岡郡中土佐町大野見大股