小さな建物に今なお息づく、おもてなしの精神。

四国には古くから弘法大師ゆかりの札所を巡る「お遍路さん」の文化がありますが、流域には通行人をもてなした「お茶堂」と呼ばれる建物が残っています。

方丈ほど(約3m四方)の小さなスペースにはお大師さんが祀られ、村の大師信仰の核としての役割を果たしました。上流の梼原町には、趣ある茅葺屋根(かやぶきやね)のお茶堂も多く残り、期間限定ではありますがお接待をしてくれる地域もあります。

お茶堂は流域のおもてなしを今に伝える大切な建物です。あなたもちょっと一休みしていきませんか。

四万十のお茶堂

お茶堂とは、村境や峠沿いに建てられた小さなお堂で、三方に壁がなく茶堂の中の状態が把握しやすい造りになっています。共通して弘法大師が祀られているほか、それぞれ地域が信仰する人物やお地蔵さんが祀られています。かつては信仰の場所として地域の人々が憩い、また通行人を接待する場所でした。お盆の時期は住民が輪番で交代しながら道行く人々を接待したと言われています。

梼原のお茶堂

流域のなかでもよくお茶堂が残っているのが梼原町で、現在13の地域にお茶堂があります。梼原のお茶堂では弘法大師の他「孝山霊」としてかつての領主、津野氏が祀られています。戦国時代、梼原・津野を拠点に力をふるっていた津野氏。梼原の人々は津野氏を慕い、その滅亡後も忘れることなく、最後の領主となった津野親忠を孝山様と称え敬いました。そんな親忠の霊を慰めるため、また度重なる天災により苦しむ人々の救いになるよう茶堂を建立したと考えられています。
愛媛県との県境で津野山街道が抜ける梼原は人の流れも多く、お茶堂で道行く人々にお茶やお菓子をふるまってお接待し、お茶堂を通して情報交換をしながら多くの人々と交流しました。今でもお接待の風習が残る地域があり、二十日念仏などの年中行事も行われるなど、今なおお茶堂が地域の大切な信仰の場として親しまれています。その他、地元の高校生たちと地域の人が協力して、お茶堂でお接待を行っているグループもあります。梼原を訪れた際は趣あるお茶堂でちょっと休憩しながら、古き良き文化を守り続ける梼原スピリットをぜひ体感してみてください。