武政 賢市 (たけまさ けんいち)

武政 賢市さんの基本情報
・四万十町大奈路 出身
・昭和21年生まれ
・四万十川東部漁業協同組合 組合長
武政さんってどんな人?
四万十川財団が企画するラフティング清掃やリバマス連絡会、四万十川に関するシンポジウムなどにいつも協力してくださっている武政さん。今回の取材も「稲刈りが終わったら、いつでも大丈夫」と快く引き受けてくださいました。

当日は、武政さんのご生家でお話を伺いました。現在は住まわれていないにもかかわらず、敷地内は隅々まできれいに手入れされ、田畑や栗園も丁寧に維持管理されていました。その姿からも、武政さんの誠実な人柄や、周囲から信頼される理由が感じられました。
ちなみに血液型を尋ねると、几帳面な印象からは少し意外にも「O型」とのこと。そんな会話も交えながら、昔の川の記憶や、四万十川への思いをたくさん語ってくださいました。
川遊びが日常だった少年時代
武政さんの故郷は、旧大正町(現在の四万十町)の北部に位置する大奈路地区。四万十川の第一支流・梼原川と第2支流・中津川の合流点付近にある集落です。
昭和30年代、武政さんが子どもの頃の大奈路には約120世帯が暮らしていました。しかし、田んぼを持つ家はわずか6軒ほど。その田んぼだけでは生活できず、多くの人が県外へ出稼ぎに行っていたそうです。
武政さんのお父さんも出稼ぎに出ていましたが、田んぼがあったため、農作業が忙しくなる時期には帰ってきて田仕事に励んでいました。武政さんも幼い頃からその手伝いをしていたといいます。当時の農作業は、現在のように機械化されておらず、手作業が中心でした。特に「畦取り」は大変な重労働で、手にはマメができるほどだったそうです。
憧れだったパンと、川で稼いだ小遣い
当時の大奈路には2軒の鍛冶屋がありました。県外で山仕事をしていた人たちは、盆や正月に帰省すると、トビやツルなどの道具の修理や手入れを鍛冶屋に頼んでいたそうです。
武政さんが印象に残っているのは、その大人たちが、稼いだお金で20~30円もするパンを買い、美味しそうに食べていた姿でした。
「早く大人になって、あのパンを食いたい」
そう思った武政少年は、ただ憧れて見ているだけではありませんでした。
鍛冶屋には質の良い「カナツキ」があり、それを使って中津川に架かるヒノキの一本橋(現在の栗の木瀬沈下橋)からアユを突いたり、延縄やコロバシでウナギを捕ったりして、仲買人に売って小遣いを得ていたそうです。
それでも、子どもの小遣いでは憧れのパンを買うことはできなかった、と懐かしそうに語ってくれました。
川を知り尽くした漁師の知恵
取材の中で、武政さんはウナギが入りやすい場所について教えてくれました。
流れのある岩の後ろには、下流から上流へ向かう「逆渦」ができます。その場所では、通常は下流側に向けて仕掛けるコロバシの「コジタ側」を上流に向けて据えることで、ウナギがよく入るそうです。
これは、長年川と向き合ってきた漁師だからこそ知る知恵です。

変わってしまった四万十川
子どもの頃から川に親しみ、大人になってからも漁を続けてきた武政さん。しかし近年は、延縄やコロバシを仕掛けることも少なくなったといいます。
「川が黒くなるほどいたウナギがいなくなった」
「川がギラギラするほどいたエサのオイカワやカワムツもいなくなった」
かつて豊かだった川の姿を知る武政さんは、「どうしようもない川になった」と現在の状況を嘆きます。
川の変化と環境への思い
大奈路を流れる梼原川の上流には津賀ダムがあります。武政さんによると、ダムによって本来流れてくるはずの石が下流へ届かなくなり、河床は約2mも低下。岩盤がむき出しになり、その上にはヘドロが堆積しているといいます。
昔の川には白い石灰岩の石が河原に転がり、透明度も高かったそうです。
「水深5mもある川の中へ石を投げて、それを取りに行けるほどきれいだった」
そんな少年時代の川の記憶があります。
しかし現在は、
「川底は濁ってひとつも見えない。網を入れると真っ茶色になるほど浮遊物が多い」
と、川の変化を語ります。
昔の川、魚が住める川へ
四万十川東部漁業協同組合の組合長として、武政さんはこれからも川の未来に向き合っていきます。
「昔の川、魚が住める川へ少しでも近づけることができるように、様々な機関や住民と連携して河川環境の改善に取り組んでいきたい」
長年、川とともに暮らしてきた人だからこそ見える変化。そして、これからの四万十川への願い。
武政さんの言葉には、川を守り次の世代へつなげたいという強い思いが込められています。
