「ゴリのガラ引き漁の写真が撮りたいんですが。」

写真家のうちやまりゅうさんから四万十川財団に電話があったのは、2020年の3月のこと。コロナ禍真っ只中だったこともあり、その時は「また来年落ち着いたら」、という話になりました。

今年になって、内山さんから再びお電話をいただきました。今現在、四万十川でこの漁をする漁師はもういませんが、この手の話に詳しい四万十市の辻さん(教育委員会生涯学習課)に連絡して、せっかくいただいたいい機会なので、我々としてもこの際にきちんと記録に残しておこうということになりました。

まずは一番最後までガラ引き漁をしていた一藤貞男(いっとう さだお)さんご夫妻に、ガラ引き漁のお話を聞きました。ガラ引きは二人で行う漁です。一人が貝殻を付けた綱を乗せた船に乗り、一人が陸側をから綱を引っ張って歩く。その呼吸が合わないとゴリがみな逃げてしまう、とのことでした。貝殻を付けた綱は重く、そのせいで今も片側の肩ばかりこってかなわんとお母さんは言っていました。

一藤貞男さん

一藤さんはガラ引きの縄を四万十市に寄付してくださっていて、今回の再現にはそれを使いました。

再現するにあたって、事前に一藤さんからガラ引きのやり方を聞いていましたが、やはりいざやってみるとなると準備できていないことが結構あって慌てました。一番は船とそれを操れる人。船は一藤さんのものをお借りできましたが、一藤さんは脚を痛めていて漕ぎ手がいません。船の役割もガラ引きの綱を乗せておくだけだと思っていたらさにあらず、綱を入れながら船を操り、陸側の引手と一緒にゴリを追い込まなくてはいけないということが分かりました。見学に来てくれていた中央漁協の山崎さんと生川さんに急遽船の操作と綱入れをお願いし、なんとか再現に至りました。

山崎さん、生川さん、急なお願いですみませんでした。お陰様でなんとか再現にこぎつけました。本当にありがとうございました。

ゴリのガラ引き漁は、本来3月のこみ潮(滿ち汐)に乗って遡上してくるゴリ(チチブなどの稚魚)を貝殻で脅して追い落として獲る漁です。この日はもう4月も中旬過ぎで、潮も考慮せずに形だけやっています。結果は下の写真の通り。そう甘くありません。

昔は写真右にあるソウケ(IMEで出てきませんが、竹冠に皿という漢字です)に何杯ものゴリが取れて、人を雇って売りに行ってもらっていたそうです。3月のゴリ売りは、中村に春の訪れを告げる風物詩でした。

私(神田)が学生時代に居候させてもらっていた地元のお土産屋(魚富)のおんちゃんは、「四万十川のゴリは身がしっかりしているから生炊きなんだ」と自慢していました。魚富のおばちゃんはゴリを炊く時、アユカケがまざっているのでその鎌で手が切れていたいと言っていました。アユカケは現在絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)。そんな魚が30年前は邪魔者扱いされるくらい獲れました。昭和天皇の中村行幸の折りには、ゴリのお替りを所望された。陛下はお替りなんかしないものだが、それほど美味いものなんだ、というのが都市伝説的中村市民の自慢でした。

今年のゴリ漁は不漁に終わったようです。ゴリ漁も、ゴリ料理も、そして、春になるとゴリを食べるという中村の文化も含めて、大切にしていきたいですね。