今回は、梼原で茅葺き職人への道を歩み出した津村祥平さんをご紹介します。
日本の原風景に欠かせない茅葺きですが、技術者の高齢化や屋根材のススキが減少して維持がむずかしくなっています。そんななか、梼原の茅葺き職人に弟子入りし、茅葺きの文化を後世につないでいこうと奮闘している若者とは、いったいどんな人物なのでしょうか。

津村祥平さん

茅葺きに出会ったきっかけ

 津村さんは兵庫県宝塚市出身。茅葺きに出会ったのは大学生の時だったという。もともと茅葺きに縁があったわけではなかったというが、卒業論文をきっかけに茅葺きに興味を持つようになったそうだ。

「卒業論文のテーマを先生に相談していた際に、茅葺きを勧められたのがきっかけでした。先生はもともと茅葺きの調査も行っていて、愛媛県西予市で地域の方と学生で茅葺きの修繕を行うワークショップも行っており、わたしも参加しました。卒論では、茅葺きそのものではなくて、茅を育てる茅場の現状を調査したのですが、四国内の茅場を巡りながらヒアリングを行うなかで、茅葺きの歴史や在り方について理解を深めることができました。大学を卒業した後は京都の大学院に進み、そこでも全国各地で葺き替えや茅刈りのワークショップへの参加や、現場でのアルバイトを続けていたのですが、そのなかで茅葺きの機能が見直され新しい建築が生まれている流れがあることを知ったり、新しい茅葺きの形を模索している職人さん達に出会い、その考え方に触れる中で、茅葺きは今後も続いていくのではないかという可能性を感じたんです。そこで、茅葺き職人を目指そうと決意し、大学時代から親交のあった梼原の川上親方に弟子入りしました。」

川上義範親方に弟子入り

 津村さんが弟子入りした川上義範さんは、梼原町の茅葺き職人であり、四国で唯一の親方でもある。四国内にも茅葺きは多数残っているが、管理できる人が少なく、川上さんが修理に携わった建物も多い。流域にも茅葺きの建物はいくつか残っているが、その多くを川上さんが葺き替えている。流域の暮らしの歴史を繋いでいくうえでも、なくてはならない存在だ。

「川上親方に弟子入りしようと思ったのは、四国で茅葺きをしたかったのと、川上さんの考え方や生き方に憧れたからです。大学が香川県で、四国は意外と住みやすいと感じていたのもありますが、四国内の茅葺きのほとんどは本州から職人が四国外の茅を使って葺き替えしています。四国内の茅で四国内の職人が繕していくことに意味があると思うので、四国で修業をしようと考えました。川上親方とはもともと親交もありましたし、親方の人柄にとても惹かれたこと、そして親方がなぜここまで茅葺きを続けてきた、続けてこられたのかを知りたくて弟子入りを志願しました。親方は本当に優しい人で、誰よりも経験があるのに驕らず、学生の私たちを歓迎し、コミュニケーションをとってくれました。職人の世界というと、伝統を重んじる固いイメージもありますが、親方は新しい発想を否定せず、自ら学びに行く姿勢を貫いていました。これほど経験もあり実績もある方がさらに学ぼうとしている姿勢に、本当にすごい人だなと思いましたね。弟子入りしたことでよくわかったのですが、親方は本当に独り占めしない人なんです。技術はもちろんですが、育てている野菜をくれたり、ボランティアで草刈りをしたり、仕事も独占しない、そんな人です。考えてみれば、茅葺きはもともと農村の相互扶助の暮らし方がベースになって作り上げられてきた文化だと思うので、親方の生き方や考え方は、茅葺きを継承していくうえでも大事なことだと思います。」

茅葺きの本質

 津村さんが川上さんに弟子入りしたのには、川上さんの暮らし方に興味を持ったこともあるという。茅葺き職人は全国にいることはいるが、そのほとんどが茅葺きを専業とする業者だそうだ。一方、川上さんは、ガス屋でもあり、米も作り、畑で野菜を育て、茅場の管理もする。もちろん茅葺きもする。昔から数ある生業のひとつが茅葺きだ。四万十川流域では、こういったいくつもの生業で暮らす人は珍しくないが、茅葺きの世界では珍しい川上さんの生業がどのように維持できているのか、興味があるのだという。かつては集落が茅場を持ち、暮らしのなかで茅葺きを維持するシステムがあったが、今や茅葺きを行う業者でも自分の茅場を持つことはほとんどなく、茅農家から仕入れている所が多いという。そんななかで、川上さんは自ら茅場を管理し、自分で育てた茅で葺き替えを行う、かつての茅葺きを続けている。このやり方こそが本来的であり、この形を受け継いでいくことが大事なのではないかと津村さんは考えている。

 「ゆくゆくは親方のように生業の一つに茅葺きがあるような、複合的な暮らしを受け継いでいきたいなと思いますし、親方から教わった技術や生き方を後の人にも繋いでいけるようになりたいとも思っています。親方と一緒に過ごしながら、なぜ親方は今のスタイルで茅葺きを続けられるのか、そしてなぜ四国でただ1人の茅葺きの親方として現在まで続けてこられたのかを、修行をする中で探っていきたいと思っています。」

四国内で完結する茅葺きを目指して

 今年の3月に大学院を修了して、弟子入りをしたのが5月のこと。普段は梼原の建設会社で働きながら、週末に茅葺きの仕事をしている。社会人1年目、弟子入りしてまだ4カ月というところだが、川上さんのもとで少しずつ経験を積んでいる。今年は5月に梼原町内の茅葺きを修繕、9月は愛媛県の新居浜に、また10月には西予市にある茶堂の茅葺きの修繕、11月には梼原町内にある建物の葺き替えが決まっているという。津村さんの茅葺き職人への道はまだ始まったばかりだが、目指すところは決まっている。

「目標としては、四国の茅葺きに関しては、四国の茅で、四国の職人が葺き替えることができるようにしていきたいと考えています。そのためには自分の茅場を持つことなど、茅葺ができる環境があることが必要だと思うので、梼原で経験を積みながら、目標の実現のために今後どこに拠点を置くべきかを判断していきたいです。また、茅葺きの技術を残していくためにも、実は茅葺きは誰でも葺けるんだよということを多くの人に知ってもらいたいとも思っています。いきなり技術者を増やすことは難しいかもしれませんが、茅葺きのハードルが低くなればいいなと思います。そこで自分で新しく取り組んでいるのが、簡易的な茅葺き屋根の作成です。藁を編んでシート状にした苫(とま)を下から順番に重ねるという葺き方で、これであれば苫の作成は地上でできるのでハードルは下がりますし、茅を稲藁で代用することで、材料も手に入りやすくなります。実験的にバイク小屋の屋根を作ってみたのですが、今のところ雨漏りもしていません。藁は茅に比べて耐用年数が短く、2~3年で葺き替えなければいけないので実用性は担保できませんが、その分葺き替える回数が増えるので、技術の継承にはもってこいです。いずれはワークショップなどを開催して、たくさんの人に茅葺きの技術を広めていければと思います。茅葺きの存在や技術を繋いでいくためにも、新しい視点で茅葺きの可能性を広げていきたいです。」

 津村さんは茅葺きの魅力について、“何にも迷惑をかけないところ”だと語ってくれた。ゴミも出ないし二酸化炭素も出ない、茅場は生物多様性を育み、もちろん屋根としての機能も高く、屋根だけでなくその周りにもいい影響を与えている。自分の知らないところで恩恵が広がっていて、茅葺きによる好影響がどこまで広がっているのか、全部がとらえきれないところが面白くて好きなのだという。そう考えれば、茅葺きは非常にSDGs的であり、むしろ最先端な工法なのではないかとすら思う。また、相互扶助により地域内で茅葺きを維持してきたかつてのシステムも、持続的なシステムだったのではないかと思う。生活様式が変わった現代において、先人たちの知恵や暮らしから学べることは多くあるだろう。茅葺きを受け継いでいくことで、技術だけでなく、自然との付き合い方であったり、相互扶助の考え方など、人間が生きていくうえで大事な部分も受け継いでいくことに繋がるのではないかと感じた。
 茅葺きの考え方や親方への尊敬を熱っぽく語る津村さんに、茅葺きと真剣に向き合う姿勢を感じた。また、知らない土地に飛び込んでいく覚悟はもちろん、茅葺きの可能性を信じ、新しい試みに挑戦するその行動力には脱帽する。今後も津村さんの挑戦に注目していきたいし、何かお手伝いできることがあれば、四万十川財団も協力させてほしいと思う。まずは香川大のワークショップを四万十川流域に呼び込みたい。

津村さんと親交の深い四万十リバーマスターの大﨑光雄さんも取材に同席してくれました

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