山本 紀子(やまもと のりこ)

のりこさんの基本情報

・四万十町大正育ち

・1941年

大正の酒蔵生まれ「無手無冠」

蔵元の娘

紀子さんは、明治26年(1893年)創業の蔵元「千代登酒造」の4代目として生まれた。当時、酒造の蔵元は地域の顔のような存在で、蔵元のお嬢さんといえば町内でも一人前扱いしてくれていたそうだ。

ようたんぼが大好き!

紀子さんは、お酒にあまり強くない。酒屋の娘でも酒やたばこを飲んではいけないと躾けられた。しかし、「よたんぼ」が大好き。酔ってグダグダ言うのを見たり聞いたり、そこに本音があるから面白い。

ご主人の無手無冠への想い

ご主人の彰宏さんは「 酒が飲めるぞ ~ のりこちゃんは関係ない 」と薄情にもお酒に惹かれて婿養子になったという。わけあって高知市内で暮らしていたが、先代である父が倒れ、彰宏さんは「俺が資産を守る、おんしゃはここに残って子孫を守れ」と言い残し、大正に戻り4代目を継ぐことになった。彰宏さんの代に「千代登酒造」から「無手無冠」に社名変更した。この名前には地元の泥臭いにおいがする酒じゃなければ地酒じゃない。キレイな酒じゃないと評価されないなら無冠でけっこう。そんな想いが込められている。

今、人気の焼酎ダバダ火振りは、牛のエサにもなるほど栗が余っていて、あまりにもったいないと大正町長がやってきたことがきっかけでできた。栗を50%使用した非常に贅沢な一品で栗の自然な甘さが美味しい。地元の人に飲んでもらうと美味しいと評判で、地域おこしの一環で許可が下り、販売を開始したのだった。焼酎ブームで東京や大阪から注文が殺到し、一時品薄の大人気商品となっている。

のりこさんとご主人の彰宏さん
*海洋堂かっぱ館のイベントにてかっぱ大王と子どもかっぱ役を担ったときの写真

地酒屋の挑戦

彰宏さんが大正で蔵元を守る間、紀子さんは市内で子育てをし、約25年間、夫婦は離れて生活した。自分も何かしようと思いついたのが、「地酒屋」だった。当時、大手メーカーの酒しか相手にされず、田舎の地酒は門前払いされていた。同じ境遇の蔵元はたくさんあるだろうと、自分のお店で高知の全蔵元のお酒を売ろうと考えたのだった。

最初はお客さんがなくどうしようと思った。今では考えられないが、しゃべることが得意ではなかった紀子さん。話さないとお酒のことを知ってもらえないと気づき、一生懸命工夫して地酒の良さをお客さんに伝えていった。それからは少しずつ「地酒屋」に行けば何かあると言われるようになり、お客さんが増えていったのだった。アイディアマンの紀子さんは、地酒をもっと知ってもらうために、高知の全蔵元を紹介した「土佐の酒袋」という本を自費出版したり、いろんなお酒を一気に知ってもらえるように高知の全18銘柄のお酒を詰めた「お酒の皿鉢」なども考案していった。約25年間、高知市内で地酒屋をやり通し、古里の大正に戻った。

大正にある地酒屋の家屋
無手無冠で販売されているお酒
無手無冠の販売所

大正は宝物

大正は心が美人なの「大正♡美人の会」

25年ぶりに帰郷し、こんなにきれいな空気と緑のある四万十の良さをもっと多くの人に知ってほしい、大正の人は「ここはなんちゃあない」というがそんなことはない、そんな話を地域の喫茶店で話したことがきっかけで、2005年に地域の魅力を掘り起こすグループ「大正♡美人の会」を作った。美人と言っても心が美人の人達が集まった会で、旧大正町在住もしくは出身の女性で構成され、100名ほどが所属している。今までに、ウォーキングツアー、もみじ祭りツアー、ヤイロチョウのPR、大正浪漫ファッションショーなどなど、たくさんの企画を打ち出し、魅力を伝えるために様々な会にも出席していった。会長ののりこさんは全国に大正浪漫を広げたいと夢を持つ。「大正で美人に会ったことないぞ」と言われることもある。のりこさん曰く、「おんちゃん、見ただけじゃわからん。つきおうてみてわかる『♡』の美人やの。大事なのは『♡』。」

ファッションショーのポスター

あゆのぼり 十和のこいのぼり川渡しの発祥は・・・

特に最近は「鮎のぼり」に力を入れている。清流四万十川の鮎資源復活を願って、そして大正の町のPRとして、鯉ではなく四万十川の鮎を空に登らせる取り組みだ。1尾5000円でおなかの部分に名前や社名を入れて、大正鮎祭りなどのイベントで掲げられる。四万十川では十和の鯉のぼり川渡しが有名(※日本で初めての川渡し)だが、そもそもこの川渡しは、山本家に100年ぶりの男児が生まれた(のりこさんの息子さん)ということで120尾の鯉登りを頂き、祖母が、人様から頂いたものは飾るべし、と裏山から庭までたなびかせた。これをみた十和村長と意気投合し、四万十川渡しの鯉のぼりが始まったのだった。

これから

もちろん今の無手無冠、山本家を守っていくことを大事にしたい。6代目7代目とつないでほしい。四万十川や大正はなんぼでも発信したりやり方を工夫したら世界に通じるものがある。やりたいことはたくさんあるけれど、もっともっと外に広げていきたい。