1 「私は飯よりも女よりも好きなものは植物です」牧野富太郎

牧野富太郎氏(高知県立牧野植物園 提供)

 四万十川には牧野博士が歩いた頃の植物がまだ残っている。マイヅルテンナンショウ、オオクサボタン、シチョウゲ・・・四万十川で発見され名前が付けられた植物たちもある。牧野博士は、自身を「草木の精」と呼び、「私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものは実のところそこに何にもありません。つまり生まれながらに好きであったのです。(『牧野富太郎自叙伝』より)」というように、並々ならぬ植物への愛があった。一つでも多くの植物に出会いたい一念で山へ通い、植物そのものを師として観察し続けたのだ。「植物と人生とは実に離す事の出来ぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服しているというだろうが、またこれと反対に植物は人間を征服しているといえる。そこで面白い事は、植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物が無くては生活の出来ぬ事である。そうすると、植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと尊崇し、礼拝し、それに感謝の真心を捧ぐべきである。(『牧野富太郎自叙伝』より)」という言葉からも分かるように、誰よりも植物を敬愛していた。

牧野富太郎氏の青年期(高知県立牧野植物園 提供)
牧野富太郎氏の壮年期(高知県立牧野植物園 提供)
牧野富太郎氏の晩年(高知県立牧野植物園 提供)

2 牧野博士と四万十川の植物

 1880年代、牧野博士は20代のエネルギー溢れる時期に四万十川を訪れている。東京大学理学部植物学教室への出入りが許され、東京と高知を往復しながら高知県内をめぐり採集と写生に熱中していた。博士は「草木の博覧を要す(草や木についての豊かな知識が必要である)」「跋渉の労を厭うなかれ(方々の山野を歩きまわる努力を嫌がるな)」など15条からなる赭鞭一撻(しゃべんいったつ)という心構えを掲げ、これを生涯守ったという。90歳過ぎまで野外調査を続け、収集した標本は40万枚以上。あまりに膨大で正確な数はわからない。その健脚とエネルギーで、四万十川流域を歩いたのだろう。その際に、博士が出会った植物、関わりのある植物を紹介しよう。

オオクサボタン

 牧野博士が1880年代に中村(現四万十市)麻生で発見し、オオクサボタンと命名した。このときは四万十川の源流点・不入山から、今の梼原町、四万十町で採集し、そこから四万十市に渡ったようだ。オオクサボタンは、四国および九州に分布するが、四国では四万十川流域のみに自生する四万十川を代表する植物だ。九州では石灰岩地に生育するが、四万十川流域と環境が異なる理由はわかっていない。うつむきがちな花の先端のカールがかわいらしい小低木だ。

*オオクサボタンはキンポウゲ科の50~100㎝の落葉小低木。葉は長い柄をもち、やや大型。秋(9~10月ごろ)になると、淡紫色で鐘状の花をつける。また、花後に白色の長い冠毛ができて、優雅なムードを添える。

オオクサボタン(高知県立牧野植物園 提供)

マイヅルテンナンショウ

 マイヅルテンナンショウは、鶴が舞っているような出で立ちで、葉によって見分けられる唯一のテンナンショウだ。博士は明治44年11月12日発行の植物学雑誌第298号で、明治43年5月上旬、知人である山本一さんが中村(現四万十市)の角崎で、高知初となるマイヅルテンナンショウを発見したと報告した。その後発見されることがなく絶滅危惧種となっていたが、2006年5月、96年ぶりに入田で再確認された。そのほか県内では仁淀川水系、吉野川水系でも見つかっていた。四万十川では特に多くの個体が見つかり、日本でも有数の自生地と考えられ、貴重な場所となっている。96年間も見つからなかった理由は、地上に姿を見せる期間が4月末から7月と短く(結実個体は冬にまで残るものもあるが、めったに残らない)、夏に地上部が枯れると株は地下で眠りにつくためだ。国内では、本州の東北地方から九州までかなり広く分布する。高知や本州では河川氾濫原や湿地に生息し、愛媛・九州では山の草地、湿地、林縁にみられる。やや湿った環境を好み、強光を好まないことなどが希少性を高めている。

 四万十市では「マイヅルテンナンショウの会」がつくられ、毎年2回程度マイヅルテンナンショウの周りの草を刈ったり、種子から苗を育てたりなど、自生地の保護も行われている。緑一色の華やかさのない植物のため、ぱっと見るだけでは目に留まらないかもしれないが、四万十川を代表する植物の一つとして紹介したい。

*マイヅルテンナンショウはサトイモ科テンナンショウ属の多年草。50~120㎝に成長し、河畔林の林縁や池の周囲の草地などに生息する。一番の特徴は頂小葉(対にならない葉)が一番短く、葉で見分けられる唯一のテンナンショウだ。名前のように鶴が舞っているような出で立ちで、テンナンショウ属特有の多肉質の多数の花がまとまった肉穂花序が仏炎苞に囲まれ付属体が長く伸びている。仏炎苞と付属体が枯れると、真っ赤な肉穂花序が実となって現れる。環境省、高知県で絶滅危惧種に指定され。高知県では条例で採取禁止となっている。

マイヅルテンナンショウ

トサシモツケとシチョウゲ

 四万十川岸を彩る花と言えば、トサシモツケとシチョウゲだ。どちらも日当たりの良い岩上に花をみせる。増水時に水没する位置に生育し、増水位置を知る目印になっている。
 トサシモツケの発見者は博士の通っていた東大植物学教室の初代教授である矢田部良吉氏だが、博士がのちにこれを「正当な種ではなく変種である」と発表したので、現在の学名に「Spiraea nipponica Maxim.var.tosaensis(Yatabe)Makino」と博士の名前が残っている。
 シチョウゲと博士との直接的な関わりはないが、同じような環境に自生する四万十川を代表する植物なので一緒に紹介したい。平成25年に四万十高校自然環境部の生徒が生態を調査している。それによると「シチョウゲの種子が水散布型であること、発芽には一定の浸水期間とある程度の乾燥が必要であることがわかった。またシチョウゲは河川増水時のかく乱によってできる日当たりのよい岩場で多くの種子をつけ、シチョウゲ自身は短期の増水ではかく乱を受けないことがわかった。傾斜が緩く増水が頻繁に起こる四万十川は他河川と比較してシチョウゲが生育しやすい環境である。四万十川には多くのシチョウゲが生育しており、現在の環境が保たれている限り絶滅することはないと考えられるが、人間が過度に流量調整したり護岸工事をしたりすることなく、豊かな自然を残していくことがシチョウゲを守ることにつながると考えられる。」とある。まさに、四万十川の自然を象徴する植物だということがよくわかる。

 トサシモツケの開花時期は4月からなので、「らんまん」の始まりとともに花を咲かせる。ぜひ、四万十川を散策しながら見つけてほしい。シチョウゲの花は咲いていないが、きっと近くで花を咲かす準備(開花期は6月から)をしていることだろう。

トサシモツケ

*トサシモツケはバラ科の落葉低木で、高さ1~2mになる。若枝の先端は緑色であるが、生長すると黒褐色となる。4~5月ごろ、枝の先端に白色5弁の花を多数つけて川岸を飾る。四国固有種。

シチョウゲ

*シチョウゲはアカネ科の落葉低木で、高さは15~30㎝と小さい。細かく枝を分け、夏から秋(6~10月)にかけて紫色の花が次々と咲く。直径1㎝程の花先は5弁だが基部は筒状、小さなラッパの形をしている。丁字(小さな釘)に似ていることと花の色から名づけられた。

*高知県立牧野植物園に行ってみよう!

 牧野博士と言えば、牧野植物園である。牧野博士が度々採集に訪れたゆかりの地で、植物園をつくるならここだとご本人が太鼓判を押した五台山(高知市) にある。 高知県内をはじめ西南日本の野生植物を中心に、3000種類以上の多種多様な植物が植栽され、五台山の起伏を利用し、植物を自生に近い状態で見せることに主眼を置いている。園内は正門のある北園と温室が目立つ南園に分かれている。北園は教育普及をコンセプトを置き、正門窓口の手前にある「土佐の植物生態園」では高知県の高山帯から海岸域までの植生が再現され、「ふむふむ広場」では、植物を見るだけでなく、触ったり、ちぎったり、匂いをかいだりして五感で学習できる。さらに奥にあるのが「薬用植物区」。牧野植物園では植物の展示だけでなく、調査、収集、保全に関わる研究のほか、資源植物の探査も行っており、これまでの研究では、最新医療にも応用が期待される成分なども見つかっている。また「牧野富太郎記念館 展示館」の常設展示では、牧野博士の生涯をたどることができ、中庭に植栽されている牧野博士ゆかりの植物、約250種類とともに楽しめる。一方の南園は、四国霊場31番札所五台山竹林寺の境内の一部を譲り受け、開園当初からあるエリア。古い石垣や参道と調和するように園芸品種も数多く植栽され、観賞を目的とした園地になっている。回遊式水景庭園の「50周年記念庭園」では、サクラの仲間をはじめハナショウブや、ハスの園芸品種など東洋の園芸植物を中心に植栽。温室は、乾燥地やジャングルなど6つのゾーンに分けられ、約1000種類の熱帯植物を一年中楽しむことができる。

高知県立牧野植物園のHPはこちら

牧野博士の銅像:なぜキノコを持っているかというと・・・博士がキノコ踊りをしている写真を元にした銅像らしい。
キイレツチトリモチ:園内には植物の見どころが分かるように「咲いてます」といったPOPがある。
取材時には四万十町ゆかりの珍しい植物がみられた!
ふむふむ広場:ふむふむ言いながら植物を学べる場所。せっかくなので触って香りをかいでみよう。

3 四万十川にみる風景

 高知県立牧野植物園の研究員 前田綾子さんに四万十川の自然について伺った。

「私は他県から来たのですが、四万十川を訪れて圧倒されたのは、山と川がつながっている風景です。川から山にかけて、岩壁の陰にもすみ分けて植物たちがくらしています。これが自然の姿だ、と思いました。四万十川には、自然の恵みを上手にもらって人が暮らす『古い風景』が残っているところだと感じました。昔は日本中いろんなところで見られた風景です。こうした環境や風景が残っている四万十川ですが、特別な植物がたくさんあるわけではありません。川岸や河原の環境が大きく破壊されずに残っているのがすごいところだと思います。」

「昔から人の暮らしと植物は切っても切れない関係にあります。特に高知は人が関わってこなかった自然がないといっても良いくらいです。しかし今、山野から人の気配がなくなりつつあります。人がいなくなったところは自然がもとの姿に戻る間もなく、獣によって環境が壊されています。また、多くの人工林は伐期を迎え、収益をあげるために皆伐されています。社会の仕組みが自然と合っていません。人間のルールに合わせて急激に自然を変えていくと、取り返しのつかないことになります。自然の回復力にあぐらをかいていると、50年後には無くなる植物もたくさんでてくるかもしれません。」

 四万十川の植物に目を向ける。広く大きい川、山が迫る両岸、間を埋めるように植物が茂る。その中に人間の暮らしがあり、庭や林、田畑にも多様な植物が見えてくる。環境の関係性、全体のつながり中に植物が生きている。前田さんの言うように、人がいなくなることでなくなる植物もある。いわゆる里山の植物たちだ。一方で、人の活動でなくなる植物もある。例えば、シチョウゲやトサシモツケのような、河川の増水に大きく影響を受ける植物は、上流域のダムの存在が脅威となり得るだろう。

 私たちは「古い風景」の美しさ、大切さに気づけるだろうか。「今ここにある花は50年後もここで咲いているだろうか?」。きれいに咲くためになにが大事なのか。川が流れ、時には増水し、そこに人が暮らす当たり前の風景。少しずつ人が減る村、人が入らなくなった山、コンクリートで整備される道・・・。一個の植物の光は、そこの自然が豊かな証拠でもあるのだろう。キレイに咲く花々の向こう側に、もっと大きくて奥深い自然が見えてくる。

 私たちには植物から教えてもらうことがまだたくさんある。

冬の四万十川:大正道の駅より下流
初夏の四万十川(四万十町小野)
初夏の四万十川(四万十町小野)

牧野植物園 植物調査ボランティアになりませんか?

植物調査ボランティアは、牧野植物園とともに、高知県の植物の分布調査や保全活動をおこなうボランティアです。 牧野富太郎博士を育んだ高知県の自然を牧野植物園と一緒に守ってみませんか?

活動内容

  • 野生植物分布調査:「野生植物分布調査」では、重点的に調査する市町村を毎年変え、最終的に34市町村それぞれの植物リストをまとめることが目標です。植物調査を地域の人々と専門職員が協働でおこない、初心者の方でも少しずつ学んでいけるよう、各地域で調査兼研修会も開催します。
  • タンポポ調査 〜高知県の自然度を調べよう!:タンポポを環境指標(ものさし)として、もともと日本に生育している「在来タンポポ」と外国からやってきた「外来タンポポ」の分布の割合から地域の自然度をはかる市民参加型の環境調査。牧野植物園が高知県の事務局となって5年ごとに活動しています。
  • 生物多様性の保全活動 〜高知県の植物を守ろう!:生態系への影響が大きい特定外来生物(植物)について駆除活動を行い、地域の生物多様性を守る活動をおこなっています。

詳細と申込はこちらのサイト(高知県立牧野植物園植物調査ボランティア)をご覧ください。

参考資料

  • 四万十川の植物自然 四万十川植生観察副読本 澤良木庄一
  • 清流四万十を探るー自然と人と植生の旅 澤良木庄一
  • 牧野富太郎自叙伝 牧野富太郎
  • 牧野富太郎植物記1 野の花1 中村浩
  • 再発見された四万十川のマイヅルテンナンショウ(サトイモ科)と国内の分布および生育環境 藤井伸二・小林史郎・小川誠

清流通信を購読(無料)する。

名前とメールアドレスを記入して「購読!」を押してください。