四万十川といえば、天然鮎。昭和50年代、高知県は全国一の漁獲量を誇り、その70%以上(1000t以上)が四万十川で漁獲されていた。しかし、昭和60年代に入ると徐々に雲行きが怪しくなる。1990年の漁獲量を最後に右肩下がり、天然遡上の減少と遅れが目立ち不漁の年が続いた。その後、さらに漁獲量が減少し、近年では30tに満たない。

獲れたての鮎

食卓を支えるだけでなく、生業をもたらしてきた鮎の減少とともに、漁業者も減少傾向にある。食生活の変化で鮎の需要も低下しつつあるようだ。そんな中、四万十川の天然鮎を別の角度から盛り上げていこうとする人々がいる。

天然鮎の新境地を開拓するリーダーは、道の駅よって西土佐駅長、林大介(たいすけ)さんだ。
今回は、2回に分けて、四万十川天然鮎の新境地への挑戦を紹介しよう。

林大介(はやしたいすけ)さん
道の駅よって西土佐

鮎はその川の顔

林大介さんは、道の駅駅長に就任するまで、四万十川西部漁協が経営する「鮎市場」の市場長として、30年、鮎を販売してきた。現在も鮎市場の部長として鮎の販売に尽力し、道の駅と鮎を上手く掛け合わせた取り組みを先導する。

まずは、林さんに、鮎を販売することで見えてきたもの、現状や課題についてきいた。

「平成バブルの時にかけて、鮎が築地で1㎏3万円で取引される時期があった。鮎は基本的に高級魚で、一般の人には浸透していなかった。スーパーが養殖鮎を固まった金額で販売するようになって、4、5年くらい前に聞いたときに、築地では養殖鮎が95%を越えていると。ショックだった。それっぱあ、東京の台所と言われる築地でも天然がなくなった状況になっていると感じた。それだったら天然物を。獲れていないわけではない。太田川、高津川、長良川、郡上にしても直送や色々な方法で地方の中で流通している。四万十川もそう。」

市場の鮎は養殖がほとんど。かといって、天然鮎に需要があるかと言うと、厳しい現状があるようだ。

「鮎を食べる文化も少なくなってきたんじゃないかなと思う。山の人は、海の魚だと運ぶまでに腐ってしまうから、昔は当たり前のように鮎、コイとか食べよった。海の魚の刺身は大ごちそう。今は流通網ができて魚を食べると言ったら、海の魚だから。一般家庭に鮎が並ぶなんてとてもあることじゃない。高級魚のレッテルが貼られ、鮎を食べる日本人が減ってきて、なかなか販売拡大につながらない。サンマの時期になると何百トンと消費されるのに、鮎は6月解禁になったよ、そこで食べようっていう流れがない。鮎は獲れているけど、特定の業者が買うだけ。鮎を扱う居酒屋、料亭、個人の好きな人に向けて地方発送のような販売しかできないもんかなと。地元のホテルが使ってくれる需要はあるけど、規模が小さいから消費量は限られてくる。みんなが食べる量と獲れる鮎の量が見合っていない感覚。鮎を売りよって、食べる人が少なくなったのは目に見えてわかる。鮎を食べたことがないという人も多くいる。時代の流れもあるが、簡単に片づけられるものではない。」

さて、ここで、鮎の需要が下がっているのに値段が下がらないのはなぜか?という疑問が出てくる。林さん曰く、鮎の価値は下がっていて、卸値も低い。今は買い手も少ないから、ある程度の価格で買っても在庫で抱えている時間が長いから、売値を下げきることができていないのだという。サンマやイワシは不漁だと言っても数万tの世界で、鮎は2000tに満たない市場。漁獲量が少ない上に、足が速いので活か冷凍で保管され、在庫を持つほどに管理コストがかかってくる。さらに、売れる時期が限定的で、初夏を越えると一気に売れなくなる。その年に売れ残ってしまったら、次の年にはもっと価格を下げなければいけない。底打ち状態。

鮎の販売は難しい。それでも、四万十川の鮎をまずは知ってもらわなければいけないと林さんは言い続ける。四万十川の天然鮎こそが川を語る存在であり、食べておいしいことがどんなに素晴らしいことかと。

「清流を語るに鮎なしでは語れんと思うがよ。どんなテレビ番組でも。清流を語るとしたらアメゴか鮎と思うがよね。アメゴは渓流、清流の川を語るには鮎と思うがよ。鮎は川を食べる。そこの川を食べる。川の顔ながよね。鮎なしでは四万十川も語れんがじゃないかな。鮎を売る人も必要。鮎を獲るだけでは広まらん。釣る人が楽しい思いをしよるだけでは広まらん。鮎が釣れる川だとしても、誰の口にも入らん。獲ってくれる人がおって、販売する人がいるから、いろんな人に四万十川の天然鮎が届く。天然って言うのは、一つの語りながよ。天然は普通に書くけど、『 天然 』って大きい字で書くぐらいの価値があるもんなが。いろんな人に鮎の話するけど、天然だから美味しいって大勘違いしなさんなよって思ったことがあるが。川で獲れるものが天然としたら、良いコケがないところで獲れた鮎も天然やん。美味しいとかまずいが絶対あるがが、天然やけん。天然は全部美味しいって思うがは勘違いしなさんなよといいよるわけ。個体によってはまずい鮎おるやん。鮎の香りも何もない、鮎の形をしとるだけで養殖と変わらん。だけど養殖をね、5,6年前に豊洲で養殖の鮎を見たけど、勉強しよるね。養殖業者もがんばりよるね。姿が素晴らしかった。養殖業者も頑張るところは頑張っちょう。鮎をよう知っとる。馬鹿にしたらいかんでよと。」

高知市内のイベントで鮎の塩焼きを売っている林さん

林さんの原点

林さんの原点は、鮎の塩焼きにある。今でこそ、道の駅に来れば鮎市場があって、毎日四万十川の天然アユの塩焼きが食べられる。鮎の塩焼きが食べたくてわざわざ来てくれる人もいる。鮎の塩焼きの実演販売は鮎市場長時代の林さんが始めたものだった。


「どうやったら鮎を食べてもらえるかを考え続けている。鮎市場時代に、これっぱ車も通りよるのにどうしたものかと、アユの塩焼きを焼いて売ってみることにした。旧鮎市場の広場でパラソルのついたテーブルを並べて焼いていると、何かやってると思った人が止まって、『アユの塩焼きを焼いてますよ』というと買ってくれた。美味しそうに食べる顔をみたら、あ~やってよかったなと。それが原点。ふるさと市(道の駅の前身)がやるイベントの時は焼きに行っていた。41℃の時(西土佐が暑さ日本一の記録を更新した時)も焼いちょったよ。鮎食べてもらいたいけん。利益にはならんけんど。」

鮎を焼き始めたころ

「生の鮎はよう焼かんけど、食べたら美味しいって言ってくれる人もいて、そんな人のためにアユの塩焼きを真空冷凍し、レンジでチンして食べられる商品もつくった。味はおいとって、食べてもらうことに意義がある。それから、四万十にきて鮎のおいしさ、四万十の空気を感じたいと思ってもらえれば、西土佐にも来てもらえるし。全部、鮎を知ってもらいたいための手探り。今では、北海道旭川にも行ってる。北海道の人達は初めて食べる鮎(鮎の北限は北海道黒松内町あたり)、テレビの印象しかなかったけど本当に美味しかったと言ってもらえる。中には苦手な人も一定数いるけど、一度は食べてみたい魚なんだと思う。今、鮎市場で鮎を毎日焼いてもらっていることは大きいこと。冷凍の鮎だけだと、見るだけで、家では鮎を焼かんしなって立ち去る。ここでは、お金出したら鮎を食べられる。そこまで持って行けているんだ。」

鮎アユの塩焼き真空パック

新境地 その①活鮎を東京に送る

2018年、築地市場(現:豊洲市場)へ四万十川の鮎が活きたまま届いた!というニュースが広がった。その仕組みは次の通り。
①釣り師が釣った鮎を活かしたまま鮎市場に出荷
②糞や泥を吐かせるため1晩泳がせ
③次の日に道の駅職員が発泡スチロールとに鮎とエアーを入れて築地市場行のトラックへ配送
④築地行のトラックは次の日の夜中に築地市場へ到着
⑤鮎が無事に市場で取引される。
四万十川で泳いでいた鮎が1日半で東京の台所に並ぶことに成功した。現在は活鮎だけでなく生鮎も送るようになっている(出荷量は表を参照)。その立役者も、もちろん林さんだった。

築地へ送っている活鮎

「活きた鮎を送るのは、宣伝の役割が大きかった。鮎を知ってもらう、四万十の『天然』をより知ってもらうための一つ。日本の台所『築地』で四万十の鮎を知ってもらいたい。四万十川のネームバリューはあっても、魚を扱うプロの視点で四万十川を知ってもらう機会がなかった。築地でも活きたままの鮎は珍しい。流れによったら、銀座・神楽坂の高級店に行くかもしれない。『四万十の鮎です。』と料理長が出す。口に入るのは限られた人かもしれないが、そういう人って人脈や部下もたくさんいて、四万十の鮎が美味しいという口コミが広がっていくかもしれない。」

「送るまでが大変だった。卸の人達とのつながりがないと送れない。送りました!といって誰が引き取るのよ。送れたらいいなと思い始めたのは、鮎市場長をしていた時から。その時は、こんなきれいな鮎なのに生きたまま送れたらいいなと夢物語。2016年に道の駅がオープンして駅長になった時に、道の駅のデザインを手がけた迫田司さんを通して活魚を扱っている河野さんを紹介してもらった。東京で直接話すと、春からやってみましょうと決まった。24時間くらいしか持たない鮎を活かしたままどうやって運ぶかが課題だったけど、宇和島の市場回りというトラックに乗せてもらえることになって、確実な流通も確保できた。2018年、はじめての活鮎を出荷した。周りからは『絶対死ぬよ~』と言われていて、送った日の夜は鮎が全部死んだ夢を見て、気が気じゃなかった。朝起きて、真っ先に河野さんに『来てますか?!』と電話したら『大丈夫ですよ!』と言われたときは嬉しかったね~。それは今でも昨日のことのように思い出す。」

活鮎スタートの日 林さんと水槽 (2018年6月1日)
初出荷する活鮎(2018年6月1日)

2018年のスタートから今年は5年目。豊洲市場での評判は上々のようだ。豊洲以外への配送は流通網の関係でできないが、時々、直接店舗に送ってほしいと言われることも増えてきた。

「毎年、四万十の鮎を待ってくれているお客さんがいるようになった。目標は達成しているように思う。活魚だけじゃなくて、一晩生かして糞を出した氷締めの生鮎も送り始めた。四万十の鮎、美味しいよねと言われるようになった。去年(2022年)の魚の売れ行きランキング、仲買さんからの人気度も上位だった。それも続けてこられたから。1年2年でできるものじゃない。」

活鮎と生鮎の出荷量

課題もある。鮎を活かし、四万十川から市場へ無事に届けるためにはたくさんの苦労があるのだ。


「水温との闘い。どうしても水温が上がってくると、鮎が早く死んでしまう。漁師にすごく迷惑かけるという課題もある。川への急な坂を活鮎のために重い水を持ち上げてもらっている。かなり労力を費やしてもらっているなと肌身に感じる。なのに、他の鮎と値段に差ができにくい。お金のことだけなら、もうやらん方がまし。送料や箱代で半分くらいかかっているから。一番の課題。少しでも生で売れれば、高値で、ある程度の支払いができる。少しでも高く売れる時に在庫にせず、積極的に売っていく。」

活鮎は、道の駅の職員が、釣り師が川から上がってくる15時くらいに準備して受け取りを行っている。若い職員に話を聞いてみた。

道の駅職員のKさん:
「釣りの人達に鮎を持ってきてもらえることが何よりもありがたい。重いおとり缶を川からあげてくれるのは本当に労力かけてくれている。鮎を活かしておくのが大変。従来のおとり缶だと小さくて鮎が弱ってしまうので、鮎を活かすために水槽を大きく改造している人もいる。水温が高くなると弱るから、途中の谷水で水替えしてくれる人も。四万十の鮎を送ろう、出せる時には活きたまま持って行こうと協力してくれる。活鮎を受け入れの宣伝はしていないので、釣り師間で口コミを拡げてくれて、持ってきてくれる人もいる。釣り師のネットワークに助かっている。」

道の駅職員Kさん:
「活鮎の入った水槽は重くて、腰が痛くなるよ。釣りの人達は、本当に苦労して持ってきてくれてるから、雨が降ったり、天候が悪くなると鮎が死ぬかもしれない!と思って眠れない。谷の水をひいているから、そのホースが壊れたらと思うと恐ろしい。せっかく持ってきてくれた鮎をちゃんと生きたまま商品として送りたい。」

取材の日も活鮎を持ってくる漁師に会った。軽トラの止まった音とおーいという声がして、表に出ると「全然とれなかった!」と言いながら、改造した大きな水槽で元気に泳ぐ鮎を見せてくれた。水槽から鮎を出すとき、「これが重くて大変なのよ、よう持ち上げれん」といって、職員と一緒に獲れたての鮎を測りに乗せる。その日はなんと3㎏!今年はなかなか釣れないと言われている中で良い釣果だったようだ。「今、本流は全然だめだから支流に入ったけど、水が入ったまま鮎を運ぶと坂がきつくて!」と話してくれた。

改造水槽をおろす
釣りたての活鮎
受取
鮎を一晩飼う水槽
元気いっぱいの鮎

四万十川の天然鮎を売るということ。

四万十川の天然鮎を売るということは、鮎のおいしさを伝えること、つまり四万十川を伝えることだと思う。鮎を食べる人、鮎を獲る人、鮎そのものが減った現状に、新しい風が吹くような挑戦を始めた。こんな売り方があったんだ!と周りが驚くような方法と巻き込み方。林さんの想いの強さとそれを形にしようとする挑戦にワクワクする。鮎への注目が強まれば強まるほど、鮎を増やす、鮎が育つ四万十川を守っていこうという流れができるはずだ。その大切な基盤を作っているのが、林さんたちの新境地。

実は、今回は書ききれなかった新境地がまだある。次回322章②へ続く!

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