いつも清流通信をご愛読いただきありがとうございます。突然ですが、みなさん「茶堂(一般的には「お茶堂」といいます)」をご存じですか?正面と左右の壁がない吹き抜けになった小さな建物で、四万十川流域のあちらこちらで見ることができます。この建物では、村人たちが道行く旅人や商人にお接待をしてきました。流域のなかでも特に多くの茶堂が残る梼原町では、そのお接待文化を伝えようと活動するグループがあります。今回は、そんな梼原のお接待文化を伝える「風早茶屋の会」代表の西村妙さんにお話しを伺いました。

風早茶屋の会代表の西村妙さん

茶堂とは

 茶堂とは、高知や愛媛で見られる小さなお堂だ。正面と左右の三面に壁がない造りが特徴で、中には祭壇が設けられ、多くは弘法大師が祀られている。間口3間(5.4メートル)、奥行2間(3.6メートル)が一般的で、屋根は茅葺だったが、現在ではトタン葺きに改修されたものもある。その歴史は定かでないが、江戸時代に造られたという説や、長曾我部時代にはあったのではないかという説もあり、よくわかっていない。茶堂は集落同士を結ぶ往還沿いの集落境、集落の入口にあることが多い。徒歩が主な移動手段だった頃、茶堂は旅人にとっての休憩場所であり、集落の人々もそんな旅人たちをお茶や食べ物でもてなし、接待していたという。住民が交代でするお接待が多くの地域で行われていた他、お大師祭りや施餓鬼、二十日念仏など、祭事の場でもあったようだ。お接待は弘法大師への恩返しと先祖供養のためで、お接待をすると集落の安全と無病息災、五穀豊穣がもたらされると信じられていた。弘法大師を祀り、お接待や大師祭りも行われることから、茶堂は大師信仰と関わりが深いと考えられているが、津野町と梼原町を含む津野山地域では、旧領主である津野氏を供養する意味もあると言われている。

風早茶屋の会

 梼原町には今も13棟の茶堂が残っており、茶堂の多い四万十川流域でも特に茶堂がよく残っている地域だ。山間部にある津野山において情報の入り口であり、津野山が幕末に勤王の志士を大勢輩出したのも、茶堂で伊予やお城下(高知)の情報が収集できたのが遠因ではないかとも言われている。かつては8月の1か月間、住民が一戸ずつ交代で茶番に当たって通行人にお接待をしていたが、車社会の到来で往還道が廃れ、昭和30年ごろまでにはその習俗もほとんど見られなくなった。今でもお接待が残る地区は3か所程だけだ。そんななか、太郎川公園に茶堂が整備されたことをきっかけに、梼原に根付いたお接待の文化を守っていきたいと起ち上がったのが「風早茶屋の会」だ。

「きっかけは、役場の方からのやってみないかという声からでした。昭和60年に太郎川公園に水車と茶堂が復元され、62年に16人が集まってお接待を始めることにしたんです。太郎川のあたりを昔は『風早』言ったそうで、そこから名前をとって『風早茶屋の会』という名前にしました。最初は試験的に行っていただけだったんですが、役場の方からぜひ続けてほしいと言われて、町にもバックアップしていただきながら地道に活動を続けて、今年で36年目になりました。最初は手弁当で、食器やお茶もお茶菓子も、何もかも自分たちでかまえてやっていました。番茶の場合は無料ですが、お抹茶とお茶菓子がついて200円で提供していたのを、さすがに自分たちのお弁当代だけでもほしいねということで、今は300円をいただいています。町の補助金もいただいていますが、人件費等はないので完全にボランティアですね。」

 起ち上げにあたっては会員で500円を出し合い、また2名の協力者から1,000円を出してもらって10,000円で始めたとのこと。当初はお茶菓子も自分たちで手作りし、ふかした栗やおはぎなどを作ってもてなしていたという。準備も前日からの一日がかりで大変だったが、訪れた人が喜んでくれるのを見て準備の煩わしさも吹っ飛んだのだと話してくれた。

 実は会発足のきっかけとなった役場職員が、財団の四万十リバーマスターにもなってもらっていた大﨑光雄さんだ。大﨑さんは梼原の歴史文化に造詣が深く、最近では、梼原町の茅葺職人を題材にした書籍を出版するなど、梼原の文化継承・発信に尽力されている。大﨑さんのことはリバマス図鑑でも紹介しているので、ぜひご覧いただきたい。
大﨑さんリバマス図鑑(☜こちらからご覧いただけます。)

高校生との活動

 風早茶屋の会は、現在町内の女性8名で活動し、4月29日から10月末までの晴れた日の日曜日・祝日にお接待を行っている。だいたい誰でも1月に1回は担当する当番制で、2名ずつが交代で入るそうだ。朝の10時頃から掃除に祭壇へのお供え、お茶の用意などの準備を行い、11時から15時頃までお接待を行っているというから1日仕事だ。高齢化が課題の一つ。メンバーは60代以上で、体調が原因で会を離れる人もいるが、勧誘を行いながら活動を維持しているのだという。2002年からは地元の高校生にもお接待に参加してもらい、若い世代を巻き込んだ活動に発展している。

 「高校に話を持って行ったところ、家庭科の先生が興味を持ってくださって、ぜひやりましょうということになって。先生が参加者を募って、協力できる生徒を集めてくださったんです。高校生もボランティアですが、認定証を出してあげると、進学の際に有利になるなどあるみたいですね。今年は10名弱の方が参加してくださっていて、試験中や学校行事等がある際は来られないですが、それ以外のときには毎回2名の方に来ていただいています。学校の方針でコロナ禍には高校生の参加が中断しましたが、今年から再開することになり、先日も参加してくれました。子どもたちはみんな素直ですし、訪れた方も若い方にお接待してもらえるので、とても嬉しそうにしていかれます。また、毎年中学校1年生に梼原の茶堂やお接待のことを教える授業を行っていて、そこで会の活動や、茶堂の役割などをお話ししています。そのなかで実際に中学生にもお接待を体験してもらおうと、班ごとに分かれてお互いにお接待するという体験も組み込んでいます。中学校から太郎川公園までにある茶堂を歩いて巡りながら、最後にお接待をするのですが、生徒からはお茶も美味しくて楽しかったという感想も聞かれました。こういった授業を通して梼原の文化に触れてもらい、大人になっても梼原に戻ってきて受け継いでいきたいと思ってもらえるようになればと思っています。」

 高校生が関わるようになって20年、単純計算でも約200人の高校生がこの活動に関わってきたことになる。体験を通して、梼原のおもてなしの心が高校生たちにも育まれているのではないかと思う。

梼原に根付くおもてなしの心

「梼原には客人(まろうど)信仰という、旅人をもてなすとその福が自分に返ってくるという仏教の教えが根付いています。梼原の人々は昔からこの教えを守り、旅人を温かくもてなしてきました。風早茶屋の会でもその教えを大切にし、後世にも伝えていきたいと思っています。太郎川公園の茶堂には『且坐喫茶(しゃざきっさ)』という言葉を掲げていますが、これは『しばらく座ってお茶でも飲んで』という意味です。なかには抹茶は作法を知らないからと敬遠される方もいらっしゃいますが、正座もする必要もないし、お菓子を食べながら好きなように飲んでかまわないんですよと伝えると、みなさん美味しいと言って喜んでくださいます。お接待しながらたわいもない会話をしたり、梼原のことを話したりしながらお客さんと交流するのは楽しいですし、お客さまもこの体験を特別に思ってくれる方もいるようです。なかには県外からの出張でたまたま寄ったお接待が忘れられず、後日奥様を連れていらしてくださった方もいらっしゃいました。聞けば、妻にもこの体験をさせてあげたかったのだとのこと、こちらとしてもとても嬉しい出来事でした。」

⑨ 祭壇の横に且座喫茶の文字が掲げられている
写真③⑤⑥⑦⑧⑨提供:氏原隼雄さん

 周囲を緑に囲まれた公園の茶堂は涼しく、鳥の声、隣の水車からは水の流れる音が聞こえ、心を癒してくれる。そこに地元の方からお茶のお接待を受けられるのだから、訪れる人には最高の癒し体験になるだろう。旅行で地元の人とゆっくり触れ合う機会はそうはないと思うので、お接待は観光客にとってもきっと貴重な体験になるはずだ。

 活動が始まって36年。メンバーの高齢化もあり、もう会を終わりにしようという話も何度か出たそうだが、それでも地道に続けてきた。周囲からの励ましの声も大きかったが、続けてこられたのは、やはり梼原の文化を繋いでいきたいという思いからだと西村さんは話す。

「高校を卒業して梼原を離れることがあっても、いずれ戻ってきて、梼原に残る素敵な文化を伝えてもらいたい。その思いが、これまで頑張ってきた最大の理由です。高校生たちにとっても、お接待をした経験が社会人になって活かされるのではないかと思います。また、これまでお接待を続けられたのは、やっぱりいろんな方と交流できることが楽しかったからということも大きいですね。有名人にもおいでいただきましたし、隈研吾さんもお越しくださいました。茶堂には『ふれあい記』という誰でも書き込めるノートを置いていますが、皆さんそこに感謝の言葉を書いてくださいます。これからも梼原に残るおもてなしの心を大切にし、先人たちが守ってきた茶堂や客人信仰を次世代に受け継いでいくお手伝いができればと思っています。」

風早茶屋の会のパンフレット ふれあい記には有森裕子さんや宮崎美子さんの名前も

 太郎川公園の茶堂をはじめ、梼原には茅葺屋根の茶堂がいくつも残っており、その素朴で懐かしい見た目が周囲の緑とも相まって穏やかな空間を作り出している。時代とともにお接待文化も見られなくなってきたが、先人が受け継いだ客人信仰とおもてなしの心は、現代の人々にも確かに根付いているのだろう。風早茶屋の会の活動で、若い人にも移住者の方にも、茶堂とおもてなしの心が梼原の宝として受け継いでいかれるのではないかと思う。
 風早茶屋の会では、近年町の特産として話題の桜漬けを使ったお茶菓子を考案中だそうだ。お接待のお茶菓子もなるべく地元のものを提供して、観光客の方々にPRしたいのだという。皆さんも梼原町の茶堂でお接待を受けて、梼原のおもてなしの心に触れてみてほしい。

清流通信を購読(無料)する。

名前とメールアドレスを記入して「購読!」を押してください。