西川 満壽代(にしかわ ますよ)

西川さんの基本情報

・S18(1943)生まれ

・四万十市若藤出身

四万十リバーマスターとしてガンガン四万十川のPR!

リバマスになったのは

夫の飲み仲間の川漁師からの紹介。当時リバーマスターを集めないといけないと言っていて、カヌーをしたり、ウルトラマラソンの接待をしていたのでそのミックスでやることにした。

どこでも名刺と素敵な出会い

リバーマスターとしては、名刺を配って四万十川をPRしている。これが一番有効だと思う。どこでも配る!

2021年12月のコロナが収まっていた時に、ひろめ市場に行って、群馬から来た夫婦と意気投合。翌日四万十川の沈下橋に行くということで、たくさんPRした。隣は熊本の人で、その人にもPR。終電まで飲んで大盛り上がり!次の日は、サプライズで群馬の夫婦を迎えに中村駅へ。「まさか来てくれるなんて!」と驚いた様子だった。クラシックバスで佐田沈下橋だけを見てうなぎを食べる予定だったが、「私が車で案内すれば他の沈下橋も見られるよ」と佐田以外の沈下橋にも行くことに。佐田であった神戸の人も一緒に案内することになった。こんな出会いは初めてだと言われた。群馬ではこんな親切な人はいないし、こんなに良くしてもらえるなんて信じられないと言ってくれた。その後、感謝の手紙をいただき嬉しかった。

旅行が好きで海外のツアーにも行くけど、その時にも四万十川にPRで名刺を配り、夜に大盛り上がりする。

家の前をサイクリングの人が良く通り、地図を見ている。迷っているようなら窓から「どこ行くの~?」と声をかける。沈下橋に行きたいらしく案内するが、わからなければ車で先導してあげている。

小さいころ

無口で話さない子どもだった。今ではうそでしょとみんなから言われる。文学少女で正義感が強かった。生徒会の役員になったことがきっかけで話すようになったかな。責任感から意見を持ち発言をするようになったのだと思う。あとは、主人が無口なのにお酒が好きで、2次会3次会などお客さんをよく連れて来るからその相手をしないといけなくて話すようになってしまった。教師をしていたからそれもあるかな。

遠くなる夢の京都暮らし

修学旅行で行った京都に憧れを持ち、戦後の看護師で白衣の天使にあこがれた。高校卒業後、京都の看護学校に行き、看護、教師、養護、保健師の免許を持っている。高知県から養護教諭学校を作るから受験してほしいと頼まれ、うけるだけ受けたらと合格してしまい、京都で看護師としてバリバリ働くつもりだったからいやいや帰ってきた。

じゃあ養護教諭になろう、ということで採用試験を受けたら、臨時でも採用されない時代に本採用でまさか受かってしまった。いよいよ大好きな京都暮らしが離れていった。4月まで何も考えておらず、今日始業式じゃないのかと父に言われ慌てていった。始業式のあいさつで、檀上にも上がらず挨拶したものだから変な子が来たなと思われたと思う。それからずっと教師をしていた。

好きなこと

・山登り

南から全国いろんなところに行った。夏休みに夫婦二人でもよくいった。子どもたちも連れて行ったが好きになってくれなかった。

・カヌー

北海道の支笏湖や釧路湿原にもいった。

・旅行

夫婦で最後の旅行は済州島。四万十が縁になっていろいろといった。ここで出会った人に会いに行くこともあった。

・絵

高校の時美術部で絵をかいていた。趣味でずっとやっているが、つわりがひどくて油絵から日本画に変えた。アトリエも作って描いている。地域の小学校9校で朗読しているが、保育園~中学校まで、自作の紙芝居を英語にして持って行っている。絵手紙教室もやっていて、地域のお年寄りと楽しんでいる。三原村や清水でも教室をしている。

やりたいこと

・高知新聞の「味めぐり」を全部めぐりたい。実際に会って交流するのが楽しい。誰かと行くと予定を合わせることが大変なので、1人で行くのが好き。

・県にあるサイクルロードを車で回りたい。5つのうち4つ行っている。車に寝袋やもしものものを積んでいる。でも、途中で紅葉マークの人がとまっているとおばあさんが何してるの?!となるから貼ってない・・・

西川さんの明るさとパワフルさには、とても元気をもらう。たくさんの出会いを楽しみながらリバーマスターとして活躍してもらっていて、とても心強い。四万十川を訪れ西川さんに会った方々は、いつまでも四万十川を大好きでいてくれているだろう。これからもよろしくお願いします。