四万十川大人塾第1期卒塾生の小竹花枝さんを紹介します。小竹さんは、大人塾を通じて大きな変化があったようです。

小竹 花枝 (こたけ はなえ)

基本情報

・茨城県下妻市出身

・1975年生まれ

タケノコ堀りが楽しくて

中学生の時に母親と一緒にタケノコ堀りに行ったことがあった。至る所に顔を出すタケノコを見つけては掘ってがたまらなく楽しかったそうだ。中学校から帰るとすぐに家の裏の竹林に行き、100本以上のタケノコを掘ることを、毎日繰り返した。タケノコ堀りだけをできる仕事があればずっとそうしていたいと思っていたという。自分の心に正直で感受性豊かな小竹さんの魅力は、子どもの頃からだったようだ。

移住したのは

小竹さんが四万十にやってきたのは12年前(2011年)のこと。田舎で暮らしたいと思ったのは20年前(29歳)から。地元は、全員顔見知りのような小さな村だったので、少し広い世界に出てみたいと思っていた。だからといって、都会のような人工物に囲まれたところで暮らすのはきつい。田舎の民家で暮らす方が自分にとって気持ち良いなと思っていた。

大学生時代の小竹さんは、バイトで貯めたお金で全国を一人旅したり、活動的な学生生活を送った。社会人になってから海外へボランティアにも行った。きっかけは、ボランティア入門の小さい記事を見たことだった。記事通りに海外のボランティア団体へ英語の手紙を送ると、2つのボランティアを用意したから参加しませんか?とベルギーの団体から返事が来て行くことにしたのだった。フランスで地方公民館改築20日間、ベルギーで知的障害者の農場施設の草取り、知的障害者とレクリエーションなどを2週間行った。フランスが古い建物を大切にしていること、ベルギーの福祉環境の良さに驚いた。いろいろな発見の連続で、とてもいい経験になったようだ。この経験もあり外国で暮らすことも考えたが、母国語が通じた方が楽なので、最終的に日本に住もうと考えた。

帰国後しばらくしてからホームヘルパー2級を取得し、全国展開している大きな会社のグループホームに入社し、懸命に働いた。ある時、認知症の方が「他の人は私にイライラして冷たい感じだけど、あなただけ丁寧に接してくれるわね、ありがとう。」と言われ、もしかして自分は認知症の方と相性が合うのではないかと思った。紆余曲折を経て転職することになったが、別の施設で介護の仕事を続けた。しかし、地域とのつながりがない職場と家の往復に違和感を感じ、田舎で暮らしたいという気持ちが高まった時に、全国の田舎でインターンシップ形式の仕事や暮らしができる内容のチラシを見つけた。これだと思い応募した場所が、四万十だったのだ。 

周囲に支えられて

初めて四万十川を見たのは、窪川から十川へむかう車窓からだった。四万十川に圧倒されたことを今でもよく覚えているという。四万十に来て、最初の1ヵ月はシェアハウスをしながら農家で働いた。シェアハウスには移住者が何人かいて仲良くなった。彼らを見て、同じようにこのまま住みながら、仕事と家を探そうと思った。農家で働いた後は、リバーアクティビティ施設やイベント事務局などの仕事をしながら、家と正社員かつ自分がピンとくる仕事を探した。条件の良い家を探すのに苦労したが、先にあったかふれあいセンターの仕事が見つかって、今の家に引っ越した。

現在は、四万十市西土佐の大宮に住んでいる小竹さん。あったかふれあいセンターで1年働くうちに地域の8割の人と知り合いになっていた。気にかけてくれる心強い方々もいて、地域のことでわからないことあれば教えてくれる。最初は付き合いのさじ加減がわからなかったが、関わり方も教えてくれた。素敵な人々に支えられながら楽しく暮らしていることが伝わってくる。

狩猟免許はとったけれど実践はハードルが高い!

四万十町で暮らしていた時、地域の猟師たちが鹿を捌くところを見せてくれたことがあった。流れで「私も猟師の免許とります。」と言ってしまった。あとから仲の良い猟師にやめた方がいいと釘を刺されたが、負けず嫌いの小竹さんは、逆にやりたくなって取得を決意し、なんと受かってしまった。

求職中イノシシ解体の求人があり、面接を受けに行った。結果は残念だったが、面接官の方が親身になってくれて、新しくできた松野町の解体施設の人手が足りないから行きませんか?と声かけてくれた。それから松野町の「森の息吹き」で仕事をするようになった。解体が主な仕事だったが、報奨金の証明で捕獲確認の写真撮りに山に行くこともあり、猟の現場を見る機会もあった。 実は、免許をとったけれど猟はできずにいた。解体施設で多くの猟師さんをみて、それが簡単なことではないと分かっていたからだ。猟師の縄張りがあって、新規参入者はすぐには罠をかけられない。人が入らない山や人が入る時期を考えてかけなければ重大な事故にもつながる。先輩猟師たちは軽トラが入りやすく、かけやすいところを選ぶ。土地の所有者とも顔見知りで、所有者に配慮しながら猟をしている。罠をかけるには、山、獣の習性、地域の人間関係、人の動き方などちゃんとわかっていなければいけない。免許をとるのは簡単だったが、実践はハードルが高かった。

一つの夢

知人に鹿肉をもらい、自分で調理して友達に食べてもらったことがあった。美味しそうに食べてくれる友人をみて閃いた。「自分で獲って捌いて料理した鹿を食べてほしい!」以来、他の人にもこの夢を話し始めた。実現に向けて起業の勉強を始め、起業塾に参加して学ぶこともした。四万十町のビジネスプランコンテストに参加して多くの人と話をするうちに、具体的イメージも固まってきた。コンテストの一環で実際に鹿肉をふるまうワークショップを行い、意外とシカ肉食べたい人がいる手ごたえも得た。

個人的に友達を呼んで試したこともあるが、接客や話し方、提供方法など納得いかないところが多く、グダグダになってしまった。改善して次につなげたかったので、友達にあえて辛口な評価を聞かせてもらうと、はっと気づくことをたくさん指摘してくれた。失敗を活かして、良い形になるまで頑張ろうと改めて決心したのだった。

その後、四万十町の助成金で1日がかりのイベントをした。猟師が罠にかかった鹿をとるところから始め、お客さんの前で小竹さんが解体をし、あらかじめ料理しておいた鹿肉料理を食べてもらい、最後に軽トラサウナに入る。作業に没頭するあまり司会進行がおろそかになったとき、イベント慣れしている人が場を繋いでくれた。この経験から、協力者が見つかって役割分担ができたら何とかなる!と感じた。これからもできる方法を図太く探していこうと思っている。

もともと移住する前から、食べ物がどこからきてどこに消えるかという流れを知りたい、多くの人が知ることが大事だと思っていた。鹿を捌く仕事は、かっこいいもしくは気持ち悪いのどちらかに評価が分かれる。

「私は鹿を捌く仕事をしていたから、悪気がないとわかっていても、気持ち悪いという言葉に傷ついていた。でも、その人も美味しい肉を食べる。肉にするところは見たくないけど美味しい肉は食べたい。汚いところは見せないでおいしい肉だけ売っているのはおかしいんじゃないか。見慣れていないから気持ち悪いのはわかるけど、その仕事がある上で美味しい肉が食べられるんだというのはわかってほしい。大好きなドキュメンタリー映画『カレーを一から作る』で、武蔵野美術大学がカレーを一からつくる授業をしていた。野菜や動物も育て、皿も造る。最後にカレーを食べる。動物を殺すことに反対する人も出てきた。牛のと殺場の人も講習に来た。従業員の中には名前や顔を隠す人もいる。家族にも言わない人がいる。そういう風潮はおかしいと思うから、そこに風穴を開けたいと思った。」

 今でも実現に向けて試行錯誤中だ。

小竹さんのジビエ料理

Q : 四万十川に来て思ったこと・四万十川大人塾に参加した理由は?

「子どもが遊べるほどきれいな川は地元になかった。とても珍しいと思った。」

小竹さんは、きれいな四万十川に感動した。それだけでなく、近所の人がツガニをくれ、山の猟師で川の漁師を兼ねている人もいて、鰻やカニを売ったり、夏は舟を出して鮎を捕り、そのための氷をもらいに施設に来たりして。こんな近くで鮎がたくさん獲れるんだと思うと、ますますすごい川だと思ったという。きっかけがあって、川漁をできたら面白いなと思っていたところ、四万十川大人塾を見つけた。

参加したもう一つの理由は、四万十川大人塾の内容を見た時に、「これは私がやりたいことの川版だ。」と思ったからだった。どうやって企画するのか学ぼうと思い、応募することにしたのだった。

川漁をやってみたら、想像していたよりも驚くべき漁がたくさん、知らないことがこんなにもあって、その奥深さに段々はまっていった。

落ち鮎漁に挑戦

近所のおんちゃん、おばちゃんは何かしら川で獲ったことがあるようだ。昔獲れたけど今とれないとか普通に話すのがビックリ。たいてい鰻がどこにいる、どういう釣り方があるということを当たり前のように知っている。昔は遊びがないからというけど、子ども時代の延長で今も川漁をやっている人もいて。み~んな川で遊んでたんだなと思う。みんなが川との関わりが深いことにすごく驚いた。川の豊かさ、生活に密集しているなあと驚くばかり。

「いつも会う時は賑やかな人も、昔から遊んでるから川に詳しいの。今でも川漁やっているのはあの人やあの人でここらへんでやるよとか。その人一人一人の歴史なんて考えたこともなかった。いつもお酒を飲んでいるあの人が~?!って思って驚いた。農家の人っていうイメージの人も、子どもの時に自分で竿つくって、シャクリしてたとか。その人の新しい一面も見つけられて面白い。体験してなかったら何が何だかわからなくて、聞いても今のように楽しく聞けなかったと思う。」

小竹さんは、大人塾でやった漁の中でアユのシャクリが一番のお気に入り。獲るのは難しいけど、川をのぞきながらたくさんの生物に会えるのが楽しい。講師の武内幸男さんに連絡を取って、大人塾でやったことの他にもいろいろ教えてもらっている。シャクリをしたいと周りに言っていたら、竿や箱めがねをもらえることになった。竿は短かったから、繋いでくれる人もいた。

シャクリ竿と

変わったのはそれだけではない。川を見るとあそこに鰻がいそうだと思うようになった。友達に夏の夕涼みで川に入ってシャクリしている人もいて、シャクリのできる良い場所を探している。今年からは組合員にもなって、川でますます楽しむそうだ。

小竹さん自身が川に近くなっていく。大人塾をきっかけに新たな扉が開いたようでうれしい限り。持ち前の行動力や、唯一無二の感性で川漁を極めていってほしい。これからの小竹さんが楽しみだ。