皆さまあけましておめでとうございます。昨年も清流通信をご愛読いただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、今年の干支は辰年ですね。四万十川には龍にちなんだ場所や伝説がたくさんありますが、その中でも今年ぜひ訪れてほしいスポットをご紹介します。

①海津見神社の龍伝説(梼原町茶や谷)

 まず初めにご紹介するのが、梼原町四万川地区の茶や谷集落にある海津見(わだつみ)神社。愛媛県との県境で、坂本龍馬が脱藩したことで知られる韮ヶ峠があるのもこの地区だ。名前に海が付くこの神社は、海の神様の娘である、豊玉毘古命が祀られており、海の安全や大漁祈願にご利益があるとして県内外からたくさんの漁業関係者が参拝に訪れる。海から遠い山間部にある海の神社、というだけでも不思議な神社だが、ここには龍にまつわる伝説がいくつも残っているという。今回は詳しい話を聞くため、海津見神社惣代の下元秀俊さんにお話しを伺った。まず下元さんが教えてくれたのは、大蛇になった娘の話だ。

 その昔、高知の枡形にあった秤屋が悪徳商人で、親の罪により一人娘の背中に鱗模様が現れるようになった。それを知った遍路が「日が沈む西方の山奥の霊水で身を清めよ」と教え、娘は旧葉山村の重谷、旧東津野村の芳生野、梼原町の広野で宿を借りながら西へ進んだ。宿では主人から桶を借り、「寝姿を決して覗かないでください」と約束したが、約束を破り主人が部屋を覗くと、桶の中で大蛇がとぐろを巻いていた。娘が出て行ったあと、その家は潰れたが、約束を守った家は栄えたという。そうして娘は四万川地域の中の川にある古池にたどり着き、そこで身を清めたのだという。その後、水上に度々神秘的な霊像が現れるようになったことから、里人は池の神として祀るようになり、里人の信仰の場となっていた。今からおよそ200年前、四郎佐ヱ門という鍛冶屋が、大蛇の説を試そうと池にカナハダを投げ込んだところ、翌朝には池の外に出されていた。これを何度も繰り返し、ついにカナトコを投げ入れたところ、一瞬にして空がかきくもり、激しい雨と暴風が吹き荒れ、池の堤は決壊し、山崩れが起こるなど大災害となった。人々は壁路山(今の海津見神社がある場所)に避難したが、その光景は人間界のものではなかったと伝えられている。やがて霊媒者が神のお告げとして「われはこの池を去り、人跡まれなる大野ヶ原小松ヶ池に身をかくすべし、されど、われは壁路山に龍王大権現として四万川村総鎮守の神として祀れば永久に神鎮まり諸々の幸福を与うべし」と伝え、現在の地に社殿を建立したと神社の棟札に書かれているそうだ。

「その後明治期になり、廃仏毀釈の動きの中で龍王大権現の行方は分からなくなっていましたが、20年ほど前になって、地元のNPOが空池(元の古池)に龍王大権現を再興しました。現在もそのNPOが中心になって、草刈りなどをして管理を行っています。今は龍王様は海津見神社ではなく、そちらでお祀りしていますが、この地域の人々は今もここを龍王宮と呼び親しんでいます。海津見神社は豊玉毘古命を祀っていますが、龍王様の話は豊玉毘古命を祀るよりも前の話だと考えられています。神社のすぐそばには龍王水という清水が湧き出ており、この水を飲むと病が治るとされています。ある時来られた参拝客の方は、その方のおばあ様が病に罹られて龍王水を飲んだところ病が回復したと、するとお孫さんであるその方の夢に龍が出てきたので、お礼に来たのだという話でした。そんなこともあるのだと驚きましたが、やはりここには不思議な力があるのだなと思います。」

 なお、神社の境内にある説明板には、海津見神社は1746年に中の川空池に若宮として勧請し、その後度重なる洪水を古池の蛇王権現の怒りと考えた住民は、1794年に宝殿を建立、1804年に現在の場所に奉遷、社号を龍王大権現とした、とある。
 また先ほどの伝説とは別に、愛媛県南予から龍神の姉妹が四万川を目指して川を登っていったが、病弱だった妹は途中の愛媛県旧日吉村の日向谷に住むことになり、姉は四万川に辿り着き中の川の空池に住み着いたとされる伝説も残っているそうだ。

 「豊玉毘古命を祀るようになった起源はわかりませんが、龍神は水の神様、海の神様でもありますし、そこに繋がりがあるのではないかと推測しています。昭和の頃は、海津見神社には各地からたくさんの参拝客が訪れ、お祭りの日には参道周辺に屋台がずらーっと並ぶほど賑わっていました。参拝者の数は減ってきてはいますが、今でも参拝に来られる方もおりますし、地元の信仰も厚い神社ですので、なんとか守っていかなければならないと考えています。今は4地区で管理を行っていますが、高齢化もあり管理も大変になってきています。今後もたくさんの方々にお参りいただき、ご寄付をいただけるように神社の整備も進めていかなければいけないなと感じています。」

 龍の伝説が複数残っている点や龍王水の話からも、ここには本当に龍神がいるのではないかと思わせられる。これらの伝説は、若い世代には引き継がれていないそうだが、今後もこの土地で龍神信仰が受け継がれることを切に願う。伝説だけでなく、四万川地区は二十日念仏や虫送りなど、多くの地域で廃れてしまった習俗が今でも引き継がれており、貴重な文化に触れることができる数少ない地域だ。ぜひ辰年の今年こそ、海津見神社を訪れ、その神聖な力に触れてみてほしい。

②白龍湖(津野町芳生野)

 続いて紹介するのが津野町芳生野の白龍湖。石灰岩から湧き出た水をせき止めて作られた人工の池で、すぐそばを北川川が流れている。白龍湖の見どころは何といっても青く透き通った水!石灰岩から湧き出た水が光に反射して、このような幻想的な色を作り出しているそうだ。コバルトブルーの池の中には鯉がゆらゆらと泳ぎ、まるで絵画のような美しさがある、まさに映えスポットだ。もともと地図にも表示されないような場所だったが、近年インスタグラムで少しずつ認知度が広まり、今では津野町の人気観光スポットに。美しい景色を写真に収めようと、多くの人が訪れている。白龍湖は私有地で現在も個人の方が管理されており、無料で見学できるが、協力金として100円の寄付をお願いしているようだ。なお、協力してくれた方は、北川川の石にイラストを描いて作ったオブジェを持ち帰ることができる。場所は国道439号線沿い、狸(与作狸)と龍の石像が目印。
 なお、白龍湖の少し下流に蛇ヶ渕という大きな洞窟があるが、この洞窟は四万十川源流点近くの稲葉洞に繋がっているとも言われているそうだ。稲葉洞は龍神様が祀られ、年に2度全国の龍神様が集まってくると言われる四万十屈指の“龍スポット”。白龍が棲むといわれ、地元の方の話では、稲葉洞の入り口でまるで白龍のような雲が空に昇る光景を見たことがあるのだとか。運が良ければ龍神様がお姿を現してくれるかも?ぜひ、白龍湖と併せて訪れてみてほしい。

③龍王の滝(四万十町大道)

 最後に紹介するのは、四万十町の十和エリア、大道にある龍王の滝だ。国道から四万十川の支流久保川沿いに、約30分ほど山道をさかのぼったところにある、十和の隠れた絶景スポットである。駐車場に車を止めて徒歩で5分ほど山道を下ると、大きな滝が現れる。落差約30mとも言われる2段の滝で、下からは1段目は見えないが、滝の上にある龍王神社からは1段目の滝が見られるそう。愛媛県との県境にほど近い山奥にあり、周りを緑に囲まれた静かな空間に、水が落ちる音と、鳥のさえずり、木々の葉っぱが風に揺れる音が聞こえる。滝壺の水は澄んでおり、きれいなエメラルドグリーンの色を作り出している。滝までの山道は落ち葉もたくさん落ちており、足元には注意が必要。また、途中にかかる木製の橋は朽ちてきているので気を付けて渡ってほしい。(橋の手前には注意と書かれた看板もある。)なお、入り口付近には木の枝で作った杖も用意されている。

 さて、滝の入り口より少し車を走らせると、龍王神社がある。その案内板には龍王の滝にまつわる伝説が以下のように記されている。
 『昔、大瀧に龍が棲んでいたという。或る日、権兵衛という者が悪戯で滝の中に金はどという物を投げ込んだ。すると晴天俄かにかき曇り、暗雲垂れ込めて滝は逆巻き嵐を呼んで暴風雨となった。谷川は大洪水となって荒れ狂い、七ケ所に大潰えが起こり、人家田畑に浸水して大災害を招き、当の権兵衛も濁流にのまれて水死した。やがて嵐はおさまったがそれから後もこの集落には奇怪で不幸な出来事が続き、人々は龍王様のお怒りを怖れおののいた。そこで或る日、村の者が集まって夜も日も徹して話し合い、社殿を建立して龍王様のお怒りを鎮める以外に方法はないと衆議一決、早速龍王神社を勧請祭祠し、人々こぞって参拝したという。その甲斐あってその後は、元の平和な暮らしに戻ったという。(金はど=鉄の鍛造で生じる鉄カス)』
 ここでも四万川と同じように、金物を投げ込んで龍神の怒りに触れ、大災害が起こったとされている。もしかしたら似たような話が他でもあるのかもしれない。

 この他にも四万十には龍伝説が残る場所がいくつかあるそうだ。龍は水の神様と考えられており、川とともに暮らしてきた四万十川らしい文化の一つといえる。今回ご紹介した場所も含めて、是非今年中に四万十の龍スポットを訪れてみてほしい。次回のご紹介は12年後…?お楽しみに。

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