2日目は大江町左沢と長井市の文化的景観を視察。台風前で小雨が降るなか、まずは左沢の文化的景観から視察しました。

国指定史跡左沢楯山城史跡公園…通称「日本一公園」とも呼ばれ、最上川と左沢の町並みを一望できる絶景スポットです。

ヘアピンカーブのように川がキュッと湾曲しているところにある楯山公園。ここはかつて左沢楯山城があった場所で、天気が良ければここから蔵王も見えるんだとか。写真右側に見える原町という地域は、最上川による水の被害が昔からあったようで、電柱には「想定浸水深」という最上川が氾濫した場合どのくらい浸かる予想であるかが記されています。
また、最上川舟運の中継地として栄えた左沢にはかつて船頭たちが歌った舟唄が伝えられています。現在残っている舟唄は昭和に入ってからのものですが、長い間船上で過ごす船頭たちの様子が知れる最上川ならではの文化です。現在では最上川舟唄の全国大会が開催されるなど広く親しまれていますが、楯山公園にはその発祥の地の記念碑として最上川舟唄碑があります。

清野家住宅…かつて酒造屋を営んでいたという商家で、明治期に作られた母屋や江戸期に作られたとされる土蔵など、歴史的な建物が残ります。3月になると、大江のひなまつりの会場としてお雛様が飾られるそうです。

大江町からバスで移動し長井市へ。長井市は最上川の上流部にあたり、「最上川上流域における長井の町場景観」として、重要文化的景観に指定されています。今回は前日の住民部会でも発表していただいた田中さんのガイドのもと、長井市の宮地区を視察しました。

長井市は最上川の2つの河川段丘の上に形成された町。市内には最上川の他に置賜野川、置賜白川が流れる水が豊かな地域です。舟運時代には米沢藩の玄関口として物資の集散地としての役割を担ってきたことで、宮地区、小出地区を中心に舟運で栄えた商家の建物などの古い街並みや、生活用水として川の水を活用してきた川とともに生きる文化が今に残っています。

今回視察した宮地区は「総宮神社」と「遍照寺」を中心に栄えた町で、江戸時代になると米沢藩の船着き場が置かれ舟運の要衝としても栄えました。

総宮神社…かつて長井郷に44あった神社を合祭し、長井郷の総鎮守として「総宮神社」となった歴史ある神社。境内には直江兼続が植えたとされる9本の直江杉があります。また、総宮神社が長井の黒獅子の発祥だとされています。4枚目の写真はかつて総宮神社の鳥居があった場所で、奥に見える建物はお寺。神仏分離の影響で鳥居を移動させたそうですが、辺鄙な土地にあるから移動させてなくても長いことバレずに実際に鳥居を移したのは昭和に入ってからなんだと小話を教えてくれました。

貿上醤油…貿上という名前は「坊上」の字を変えたもの。遍照寺の門前であるこの辺りにはかつて六坊があり、坊が集まるこの地域を「坊町」と呼んでいたそう。その中で町の上手、「坊上」に位置していたことから漢字を改めて今の名前になったんだそうです。名前からわかる地域の歴史って、面白いですね。

丸大扇屋…舟運によって栄えた呉服家さん。明治期の建物などが残っています。

特に面白かったのは、水路の水を家の中にまで引いてきて生活用水として利用する「入れかわど」。台所の流しとして使われただけでなく、生簀として鯉を飼育し、餌として食器に着いた残飯などを与え正月などの晴れ席でその鯉を食していたそう。水が豊かな長井ならではの文化ですね。

小桜館…旧西置賜郡役所だった建物で、郡役所としては全国で2番目に古いものになるんだそうです。ここにはかつて「小桜城」があったことなどから、現在は小桜館と改称し地域住民の文化活動の場になっています。

丸大扇屋のすぐ近くにあり、擬洋風建築というレトロな造りが何とも可愛いですよね。今回は外観のみの見学でしたが、中も自由に見学することができるそうです。

宮地区の文化的景観は歩いて行ける範囲に見どころがたくさんあって、まち歩きガイドがとても活きているなと感じました。四万十と同じく川を通して栄えてきた地域の景観なので、見習うところも多かったです。個人的には道路についてる雪融かし用のスプリンクラーが物珍しくて面白かった!高知にはまずないものですからね。前回の全文景もそうでしたが、地域住民による取組が光っているところは視察をしてもとても勉強になります。今まさに文化的景観の活用について考える時期に来ているので、今後も他の地域と情報交換しながら、四万十の文化的景観の活用についてブラッシュアップしていきたいです。