高知県立大学で津野町の高野集落で受け継がれる農村歌舞伎について講演があったため行ってきました。講師はいつも文景協でお世話になっている田中さんと、リバーマスターの熊田さん。お2方とも財団の関係者ということで、行かないわけにはいきません。(当日の報告が高知県立大学さんのHP内「【開催報告】社会的処方研究会「特別編」(2024年7月17日)」にもありますので、そちらもご覧ください。)
津野町の高野集落は梼原町との境にあり、四国カルストにもほど近い集落です。津野山街道沿いにあり、かつては宿場町としての性格も持っていました。現在は約70戸、約140人の方が暮らしています。そんな小さな集落ですが、ここには国指定重要有形民俗文化財があります。それが、高野の(廻り)舞台です。茅葺の建物で、全国でも珍しい「鍋蓋上回式舞台」という、舞台裏でのハンドル操作によって回る舞台が設置されています。ここで披露されているのが高野農村歌舞伎です。
田中さんからはまず農村歌舞伎がどんなものなのかというお話がありました。土佐に歌舞伎が入ってきたのは江戸時代ごろと考えられ、江戸の文化への憧れから、当時流行していた歌舞伎が取り入れられたのではないかといいます。農村歌舞伎は秋に行われるパターンと春に行われるパターンがあり、秋は五穀豊穣への感謝、春は畑で行い、畑を踏むことで豊作を祈る意味があるのだそう。農村歌舞伎の舞台があるのは上方との交流が盛んだった海岸沿いが多いそうですが、そんな中でも山間部の津野山地域は舞台が多く残っている地域であり、その理由として伊予との交流や長州大工が入っていたことなどが考えられるそうです。
また高野で農村歌舞伎が根付いた理由としては、かつては寺子屋もあるなど文教の地があったこと、またこの地域は幕末の志士も多数輩出しており、そういった人たちが上方から浄瑠璃本を持ち帰っていたことから、他地域の文化が入ってきやすかったのではないかとのことでした。
次に熊田さんからは舞台当日の準備や上演の様子などを紹介していただきました。高野の舞台は明治6年に建てられ、昭和52年に国指定重要有形民俗文化財に登録されたのをきっかけに、それまで中断していた歌舞伎を20年ぶりに復活させ、以降4年に1度地区住民手作りで開催されているそうです。今はコロナの影響で中止中とのことですが、是非再開してほしいですね。舞台道具も衣装も全て手作りで、2か月前から練習を行い準備をするのだとか。セリフも多く、言い回しも難しいため、なかなか大変なんだそうです。毎年やってほしいという声もあるそうですが、自己資金で行っていることと、高齢化もあるため4年に1度が精いっぱいなんだそう。なお、地域出身の県外の方からの寄付や、町からも補助を得て運営しているそうです。前回上演された際は地域内外から約500人の方が訪れ、大賑わいだったと言います。私もまだ一度も見たことがないので、次回上演される際にはぜひ観に行きたいと思いました。
今後は県立大学とも連携し、保全・継承に向けた新たな取り組みも進んでいくそう。学生たちが地域の文化に触れることで、新しい化学反応が起こることを期待したいですね。