林業界でも人手不足が課題だが、木を伐り出す「林産」に比べ、植えて育てる「造林・育林」の担い手はさらに少ない。そして造林・育林の主戦場は、皆伐跡地。四万十川流域でも皆伐跡地が目に付くようになってきたが、今後さらに増える事が予想される。皆伐後の再造林は全国的に大きな課題で、林野庁も3~4割にとどまっていることを認めている。

そんな中、四万十川の源流域に希望とも言える造林・育林を手がける事業体が誕生した。梼原町の地域おこし協力隊OBが中心になって設立した株式会社KIRecub(きりかぶ)だ。皆伐跡地に植林し、向こう10年の下刈りなどを引き受ける。株式会社KIRecub代表取締役の下村智也さんに話を伺った。

Q.株式会社KIRecub(きりかぶ)って、どんな会社なんですか?

株式会社KIRecub代表取締役・下村さん:「地域おこし協力隊が中心になって設立した会社です。私自身も4年前に梼原町の協力隊として移住して、林業をミッションとしていました。梼原町は皆伐が多く、基本的には皆伐跡地で枝葉を整理する“地拵え(じごしらえ)”や獣害対策のネットを張ったり、植林から下草刈を行っています。植えたところが育ってきたら、保育間伐もやっていきたいと思っています。」

Q.造林・育林というと、キツイ仕事というイメージがありますが、何か動機はあったんですか?

下村さん「林業を勉強していくうちに造林・育林分野がめちゃめちゃ少ないことに気づきました。木を伐る人も少ないですが、植えたり、育てたりする人はもっと少ないです。また僕が豊かさを与えてもらった森が無くなっていくんじゃないかなという危機感をもち、仲の良かった協力隊メンバーと話し合って、造林・育林に力を入れていきたいというところからKIRecubが始まりました。」

Q.「僕が豊かさを与えてもらった森」とおっしゃいますと?

下村さん「私の両親が梼原町出身で、小さい頃から梼原のお祖母ちゃんのところに遊びに来ていました。梼原の森林や自然が凄く好きになり、大人になった後も自分の中にその時の体験が残っていました。社会人になっても、大変な時や辛い時によく梼原に来ていました。」

Q.森づくりで、工夫されているところはありますか?

下村さん「町や個人の山主さんからも施業の依頼があります。その中には、スギ・ヒノキをこれ以上植えたくないという要望があったり、民家の裏山はスギ・ヒノキを植えても搬出が困難だったりするので、そういったところには高木にならない広葉樹を植えたり、森の上の方には、景観やその森に適した樹種を植えて、生物多様性を高めるような森づくりを企業とタイアップして進める事になりました。これからはスギ・ヒノキばかりではなく、広葉樹も植えていくというのが自分たちの考えです。」

Q.どんなことが大変ですか?

下村さん「夏は草がドンドン成長していくので、今、下刈りをやらないと手が付けられなくなります。朝の5時から12時まで集中して行いますが、2反もやるとヘトヘトになります。でも僕らは造林大好きの変態集団なんです(笑)。みんな林産にいきたがるんですが、僕たちは造林・育林が楽しすぎるんですよ。実際、現場でもみんな楽しそうにしていて、仲が良いのが僕らの会社です。社会的にも意義ある事が出来ているし、幸せを感じる瞬間が僕の中で結構あるんです。造林・育林に関しては辛いと思ってやっていないですね。」

Q.どうしたら良い森づくりが出来ますか?

下村さん「森林の問題は、林業従事者だけでどうにかなるものではないと思います。異業種の人達とか、みんなと連携しないと多分無理なんですよ。だから僕たちは、林業×異業種を積極的に仕掛けていきたいと思っています。有難いことに、それに賛同してくれる企業も増えてきています。僕たちの強みは、協力隊あがりなので、元々別の仕事をしていたり、そういったスキルとかも活かしていきたい。雇用も増やして、まずは10名を目指したい。四万十川のような豊かな川は、流域の豊かな森があるからこそ。だから僕たちの仕事は重要だと感じています。」

思い出の場所を広葉樹の苗木園に

樹齢500年の杉枝を磨いて看板に。この苗木園は、2023年に他界された坂本龍一氏が創立した森林保全団体more treesの支援を受けて実現した。

KIRecubでは、町有地を利用して広葉樹の苗木も育てている。「ゆすはら」という名の語源といわれる「イスノキ」の苗木や、地域の子ども達と一緒に拾ってきたドングリの苗木など、10種類以上の苗木が地域住民に見守られながら育っている。現在4500本ほどあり、町内の植樹イベントや下村さん達が手入れをした山に植えられる予定だ。

下村さん「この場所は、子ども達やおじいちゃんおばあちゃんのお散歩コースなのでよく目立ち、『何しゆうが?』とよく声をかけてもらえます。「ゆすはら」という名の語源になったイスノキを育てている事を伝えると『ええねえ!何か出来る事があったら言うて!』と応援してもらえます。地域の人達を巻き込みながら苗木園は運営されているのかなと思います。」

苗木園になっている土地は、元々は下村さんの祖父母の宅地で、子どもの頃、よく遊びに来ていた思い出の土地だった。家屋が古くなったことから、取り壊され町有地になっていたが活用されずにいた。その後、下村さんが協力隊になり、町からの提案や企業の支援を得て苗木園として復活した。下村さんは「高知市内に移ったお祖母ちゃんや亡くなったお祖父ちゃんも凄く喜んでいるだろう。」と語る。

今後の展望として、地元の福祉事業所や企業との林福連携にも力を入れ、山に入るのが難しい方々に苗木の管理をお願いしたり、誰もが林業に携われるように「みんなの林業」にしていきたいそうだ。

取材を終えて…

四万十川流域でも皆伐跡地が目立ってきているが、これは国の政策が関係している。戦後の拡大造林によって植林されたスギやヒノキが伐期を迎え、林業を成長産業に位置づけ、皆伐を含めた森林伐採を推進している。その結果、再造林しない(つまり放棄された)山林が増えたり、皆伐が一因と見られる災害も発生している。素人考えではあるが、そういった場所にいろいろな広葉樹を植えていくのはどうだろうか。多様な樹種で構成された森は、多様な落葉が供給される。そうするとミミズのような土壌生物が増え、フカフカ(団粒構造)の林床になっていく。その結果、スポンジのように水がよく沁み込み、豪雨の影響を和らげたり、地下水や伏流水となってゆっくりと川に流れ込み、水量を安定させる。そういったイメージを多くの人と共有し、合意形成していけたら四万十川の保全に寄与できるのではないかと思うこの頃だ。

このような意味でも、四万十川流域に広葉樹の苗木園が出来たことが喜ばしい。四万十川財団は、四万十川を守る森づくりを応援したいし、模索している。下村さん達の取り組みは、その一つの雛形として大変勉強になった。

おまけ

取材の帰り道、太郎川公園内にオープンしたばかりの森林アクティビティ「FUN MOCK(ファンモック)」に立ち寄った。森の中に張り巡らされたネットの上で、飛んだり、跳ねたり、寝転がったり、子どもから大人まで楽しめそうだ。是非、訪れてみてほしい。

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