村井 洋平(むらい ようへい)

村井 洋平さんの基本情報
・千葉県流山市出身
・家具職人 オルタWOOD DESIGN 代表
・昭和61年生まれ
・大人塾 シャクリ竿づくり講師
村井さんってどんな人?
現在はすっかり四万十に馴染んでいる村井さんですが、ご出身は都心へのアクセスが良く子育て世代への手厚い支援で人気の千葉県流山市。マンション暮らしのサラリーマン家庭に生まれ、塾や習い事に通いながら少年時代を過ごした典型的な都会育ちなんです。ですが、村井さんが子どもの頃は、流山もまだ自然が残っており、森で基地を作ってみたり、川や用水路で生き物を捕まえて遊ぶ事が出来たそうです。
その後、厳しい高校受験を経て私立の進学校に進みます。しかし、その反動もあってか、「真面目に勉強しなくなった」そうです!軽音楽部(バンド)への入部を機に、アコースティックギターに目覚めたり、脚本担当して映画も撮ったり、学業そっちのけでアートの世界にのめり込んでいきます。高3の時には芸術系の大学を受験。残念ながら合格とはなりませんでしたが、本気度が伝わってきます。そして、そういう時こそ、人生の転機が訪れるものです。1~2カ月ほど「この先どうしようか…」という思いと共に、ひたすら世界の過酷な現実を取材した海外ドキュメンタリー番組を見て過ごしたそうです。そして、世界最貧国の1つハイチのストリートチルドレンを取り上げた番組にインスパイアされ、環境問題や貧困問題を学ぼうと決意。猛勉強を経て筑波大学の生物資源学類に進みます。
入学後も探求の情熱は途絶えません。当時、日本で問題になっていた「派遣切り」や、契約を解除された労働者のホームレス化に抗議するデモに参加。そのデモの中で、数少ない同世代のモンペ姿の女性に出会います。なんとなく気になった村井さんは、声をかけて仲良くなり、連絡先を交換。運命の出会いはいつどこで起きるか分かりませんね。そのモンペ姿の女性が四万十市西土佐出身で、後に奥さんとなる「まなちゃん(現在四万十町議会議員)」でした。そうした縁で翌年、村井さんは、四万十川を訪れる事になりました。その時の四万十の感想は、「初めて田舎というものを感じた」だそうです。
しかし、そのまま四万十に移住してきたのではなく、大学卒業後はとある出版社に就職。そのあまりのブラックさに辞める事になったそうです。ストレスでアトピーが広がり、心身も弱ってしまい、その療養のために再度四万十にやってきます。四万十の大自然は偉大ですね。なんと半年で完治してしまったそうです。
回復後は「まなちゃん」とめでたく結婚。村井さんは、四万十市西土佐地区で就職します。しかし、2年で職場を去り、世界へ飛び立ちます。タイ、マレーシア、ラオス、中国、ベトナム、ネパール、ドイツ、オーストリア、スイス、フランス、スペイン、オーストラリアを1年かけて転々とします。夫婦で路上ライブをしながら、野宿したり、空き家に勝手に住み着いてしまったこともあるそうです。海外生活で視野が広がり、自分のやりたい事もしっかりと見出してきます。それが、現在、本業とされている家具づくりです。

帰国後、基礎を学ぶためにすぐさま長野県の木工学校に入学し、1年後に西土佐に戻り、自分の工房を開きます。卒業後に師匠に弟子入りするのが一般的ですが、いきなり独立したため、「最初は家具職人を名乗れなかった」そうです。小さな仕事に誠実に向き合い、徐々に認知されるようになり、やがて地元ホテルからは納品に数年かかるような大きな注文も入るようになりました。
10年以上のキャリアを経た現在、家具作りの抱負を伺うと「構造とデザインの融合。」と返答がありました。構造的にもデザイン的にも優れた家具を作っていきたいそうです。例えば、全て自然の形そのままの枝を使用した椅子にするのではなく、構造的にしっかりと作り込まれた椅子の一部に自然のままの枝を利用するといった具合だそうです。想像しただけで素敵な椅子になりそうですね。



それから、村井さんと言えば、4年かけて大改修したご自宅に住まわれ、さらに取材時にはゲストハウス(上の写真)を建てている最中でした。「生きる力を蓄えたい」という思いで、ご自宅を時間もお金もかけて、改修されながら大工スキルを身に付けたそうです。

ハマってしまったシャクリ漁


村井さんと言えば、シャクリのことを紹介しないわけにはいきません。今年は、大人塾番外編で行ったシャクリ竿づくりでは大変お世話になりました。シャクリ漁は、竿や箱メガネなどの道具類が市販されていないので、自分で作る必要があり、そこが一つの課題になっていました。そこを、村井さんにご協力いただき、誰でもシャクリ漁ができるように、作りやすく、扱い易いシャクリ竿を開発していただきました。こんなところにも家具づくりで培われた知恵が垣間見られますね。
シャクリ歴は、まだ5〜6年くらいで、移住してからもお子さんが産まれるまではアユには興味がなかったそうです。きっかけは、春先にお子さんを連れて川へ行った際に、若鮎の遡上を見た事だそうです。前回のリバマス図鑑でご紹介した芝直樹さんにアユの捕り方を教えてもらい、ハマってしまったとのこと。最初の3〜4回はやはり全然捕れなかったそうです。それでも諦めず、お子さんも川が大好きで、暑い日に川に入るついでにシャクリをして上達していったそうです。最近では川やアユをみる目が出来てきたそうです。
取材を終えて・・・
いろいろ見てきた村井さん曰く、「これだけ川を見ているおっちゃんがいるところはない」だそうです。根っからの地元住民も都会育ちの村井さんも分け隔てなく、魅了させてしまう四万十川ってやっぱり凄いですね。今後も村井さんや他のリバマスさんと協力して、人と川をつないで、四万十川に魅了されてしまう人を増やしていきたいと思います!村井君、よろしくね!