山﨑 明洋(やまさき あきひろ)

山﨑 明洋さんの基本情報
・四万十市出身
・昭和58年生まれ
・川漁師・アオノリの陸上養殖
山﨑明洋さんってどんな人?
今回は、「清流通信351章 川漁師、背水の陣で挑むアオノリの陸上養殖」でご登場いただいた山﨑明洋さんに、さらにお話を伺ってきました。
山崎家は親子3代つづく専業川漁師でした。過去形なのは、アオノリやアオサノリの不作続きで、5年ほど前から農業にも従事しているからです。しかし、そこに悲壮感はありません。「子供の頃から外で遊ぶのが好きだった」という性格を活かして、川漁と農業の両輪で柔軟に対応されています。
現在、川漁は、アオノリ・アオサノリ、シラスウナギ、ウナギ延縄、ウナギコロバシ、ツガニ漁などをやっているそうですが、どれも獲れる量は減っているそうです。アオノリ漁は、かつては、時期になればどこにでもびっしり生えていて、「頑張れば報われる漁」だったそうです。
アオノリやアオサの不作が続く原因を伺ってみると「河口にあった砂州がなくなったのが大きい」「昔は潮の動きが緩やかだったのが、今は急激に動き過ぎている。」と言います。砂州があった頃は、河口の出口が砂州によって程よく塞がれ、同じ引き潮でも滞留する時間があり、段階的に水が減っていたそうです。それが、砂州がなくなってからは、一直線に水が引いてしまい、かつてと同じ水位であったとしても、アオサを養殖するための網が水面から出てしまったり、川底が露出してしまうようになったそうです。「農業に例えるなら川は畑になると思う、大根を畑から抜いたら大きくならないのと同じで、ノリが川に浸かる時間が少なくなってしまえば、生長が阻害される。」と言います。

※砂州のより詳しい情報はこちらをご覧ください。
また、水温も高くなったと感じているそうです。シラス漁をしていても、いつまで経っても、越冬できないはず(死滅回遊魚)のエバ(ギンガメアジ)がシラスを追いかけていると言います。河川環境の変化・悪化に対して、目を逸らさず、ありのままの現実を知ってほしいそうです。

さて、四万十川の最下流で大きくなった山﨑少年はどんな遊びをしてきたのでしょうか。まずは流域あるあるの四万十川の横断。小学校6年生くらいになると、上級生に付いて100m以上ある川幅を泳ぎ切る遊び(儀式?)をしていたそうです。ライフジャケットももちろん着けていませんし、命の保証はどこにもありませんが、まるで普通の事のように話してくれました。
海も遊び場だったそうです。しかも「ベタ凪は面白くない。波が高い方が面白い。その方が波に揉まれて楽しい。」と言います。その他、友達と貝を捕って、その場で焼いて食べたりしたそうです。下流域の子供達もとっても豊かで楽しそうですね。海と川両方で遊べるのは羨ましいです!
山﨑さん、今後ともよろしくお願いします!
取材を終えて…
執筆者中平と山﨑さんは同世代ということで、遊びが共通している事もあり、爆竹やロケット花火の話で盛り上がりました。駄菓子屋で手に入れることができ、ちょっとここでは、書きづらい事もしていました…。昔の爆竹は、導火線が短くて、早く投げないと、自爆していましたね。今は改善されたのだろうか…。
