今回の清流通信では、四万十町十和地区で山と原木椎茸に向き合う、兄・酒井康希さん(26)と弟・力さん(23)に話を伺った。

四万十町の旧・十和村は、四万十川流域の中でも、辺境の地の一つだ。164.7 km²という広大な範囲に信号すらなく、西へ行っても、東へ行っても、コンビニまで車で40分はかかる。コンビニならまだしも、ホームセンターすら35km圏内にはない。そんな僻地で、1次産業を生業にしている兄弟はどうやって生き抜こうとしているのか。
旧・十和村を代表する産業を1つ上げよと言われれば、椎茸の原木栽培をあげたい。十和村史によれば、明治の後半には、木炭や仙花紙に次ぐ産物になっており、昭和30年代から本格的な増産にとりかかり、先人たちの努力の甲斐あって、昭和51年・53年には 全国第1位になるほど椎茸栽培が盛んになった。「椎茸御殿が建った」との逸話もあるほどだ。裾野も広く、村内の全農家の約80%が従事し、家庭菜園レベルでの栽培も極々普通に見られた。
林業地で発展した原木栽培
その中でも酒井兄弟が拠点にしている古城・地吉地区は、十和を代表する椎茸生産地で、最盛期にはおよそ100軒の椎茸農家がいたそうだが、今となっては、原木の伐り出しから行っている椎茸農家は3軒程になってしまったそうだ。現在、その3軒が力を合わせ、命懸けで、山から原木を伐り出している。


現場に案内してもらったが、それはまさしく林業の現場だった。康希さんも「十和で椎茸が盛んになったのは、元々、林業の素地があったからではないか」と言う。作業道を入れ、架線を張り巡らし、原木を集材し、軽トラックに満載にして原木を運び出す。国道に出るまで20分ほどかかり、途中、急な坂道や道幅が軽トラックがギリギリ1台通れるかどうかの場所もある。そんな場所をバックで下がっていく事もある。康希さんも「道を崩さないよう、パンクしないよう慎重に通っています。雨の後は特に怖いです。」と言う。
軽トラックも通常のものとは違った。4輪駆動はもちろんだが、重量物を載せて、ぬかるみや急こう配な道を走らせるため、板バネが補強されていたり、デフロック機能があったり、副変速機のモード切替ができ、ここ一番の時に活躍する。康希さんは「椎茸やるなら、これ一択です」と言う。



highとlowの切り替え可能。

「身体が資本」超重労働の原木栽培 ~菌床栽培との違い~
椎茸には菌床椎茸と原木椎茸があるのはご存じだろうか。見た目は同じでも、出来上がるまでの過程も違えば、味や香りも違う。菌床栽培は、おがくずと養分を固めたブロックに菌を植え付け、室内で1年中効率的に栽培する方法で短期間で収穫でき、安定した品質が特徴だ。副業としても人気がある。
一方、原木栽培は、10〜12月の葉が落ち切る前の一瞬のタイミングを見極め伐採されたクヌギやコナラを、そのまま数ヶ月山に放置して乾燥(葉枯らし)させる。その後、105cmに伐って運び出し、平地でドリルで穴を開け、種駒菌を植え付け、菌が活着するまで直射日光を避け、湿度を保った状態で管理(仮伏せ)する。菌糸が回ったら、通風の良い場所に移動させ、長期間かけて栽培(本伏せ)する。植菌から約1年後の冬から収穫が可能になる。

市販のものより高速回転する。

ここまで簡単に書いたが、それぞれの工程に重労働や技術が必要になる。酒井農園では、親子3世代で役割分担している。父・和志さんと康希さんが伐採・搬出し、祖父・祥成さんがドリルでチドリ状に穴あける。祖母・和歌子さんと力さんが、5種類の種駒をその穴に入れていく。力さんが「祖父の穴あけは、手際がよく、迷いがない。とても敵わない。」と教えてくれた。
種駒を入れ終わった「ほだ木」を、今度は山やハウスに運び、「鳥居型」や「ムカデ型」に並べていく。ほだ木は重く、傾斜のある山手に並べる作業は大変な重労働だ。ハウスに並べたほだ木も散水によって水がしみてさらに重くなるという。そのほだ木に刺激を与えるため、上下逆さまに「天地返し」を行う。物理的な刺激と水分が移動することで椎茸の発生を促進する効果があるという。その作業を延々と繰り返すのだ。力さんは「お兄ちゃん、あんまり重たいがは、伐ってこんとってよ」とお願いすることもあるという。康希さんも「僕も太いのは持ちたくないですけどね」と実感がこもっていた。断っておくが、二人とも空手経験者で、屈強な体格をしている。康希さんは高校時代、インターハイにも出場している。和志さんも腕っぷしが強い事で有名だ。それをもってしても相当な重労働なのだ。根を上げてしまう参入者もいるという。


ピンチ、椎茸が全く生えてこない!?
農業は自然相手。必ずしも苦労が報われるとは限らない。原木椎茸に限って言えば、苦労の方が圧倒的に多いのではないかと推察する。康希さんは「近年は異常気象や温暖化で菌が回らず、椎茸が生えてこない。特に山手のほだ木は、天気任せになるので、この冬は雨が降らず、全く生えなかった。子供の頃は、毎日椎茸が採れていて、父が家に帰ってくるのはいつも夜遅かった。シカやイノシシの獣害もあり、菌代(軽トラ1台分の値段)や燃料代も高騰し採算を合わすのが難しい。今は、祖父母が健在で手伝ってもらいなんとかなっているが、近い将来、父と3人でやるようになるので不安がいっぱいある。」と語ってくれた。
『酒井農園の椎茸』として消費者に選んでもらいたい
比較的軽作業で出来る菌床栽培を検討しないのか聞いてみたが、この地区で取り入れた人はいないらしい。それは、十和ならではの風味や味に誇りを持っているからで、この地区のアイデンティティに関わるのかもしれない。



先程、将来に不安があると語ってくれた康希さんに今後のビジョンを聞いてみた。「今以上、ほだ木を増やすのは人数的に難しいので、まずは1本あたりの収量をもっと上げる努力をしたい。そして、本当に綺麗なものを見合った値段で売れるように動いている。綺麗なものと言われるのは、『どんこ』と呼ばれるこんな丸型の肉厚の椎茸です。開いて薄くなったものは『こうしん』と言って、スライスにしています。原木の生椎茸は足が速く、レア商品だと思うのですが、道の駅や東京のレストランに直接卸しています。個人的には、直取引を増やして『酒井農園の椎茸』として消費者に選んでもらいたいと思っています。」と教えてくれた。



力さんも「消費者の皆さんが普段、口にしている椎茸のイメージとは違うかもしれない。そして、『原木は高いだけ』というイメージがあるかもしれないが、味や風味の違い、お届けするまでの過程も知ってもらいたい。」と語った。
一味違う『酒井農園の椎茸』のおすすめの食べ方を教えてもらった。
「干し椎茸は本当に良くダシが出ます。スライスした乾燥椎茸は、約5mm厚に切り分けていて、鍋やお汁にそのまま入れて煮込むだけで簡単に使えます。通常は、水戻しに1日かかる乾燥椎茸ですが、スライスはその手間がほぼ無いので椎茸を手軽に楽しめます。生椎茸は、水で戻す必要がなく、歯応えが良い。おすすめは、十和の郷土料理『椎茸のタタキ』で、これはもっと流行ってもいいと思う。その他にも唐揚げや天ぷら、鍋も良い。肉が緻密。菌床と原木を食べ比べたうえでチョイスして欲しい。」
お土産に酒井農園の椎茸をいただきましたので、財団のスッタフで分けました!ありがとございました!

タタキにして食べてみました。香りが強くてとっても美味しかったです!スーパーの椎茸だと身がつぶれてしまうのですが、いただいた椎茸は、とっても肉厚でつぶれず、出汁を多めにいれても、それに負けないくらい香りが強かったです!

私もタタキにしていただきました。椎茸の甘みがあって、とっても美味しかったです。
いつまでも誇りをもって続けていくために…
四万十流域5市町の森林は、おおよそ70%を人工林が占めているが、ここ十和地区では、椎茸や炭や栗やお茶などの特用林産の生産のため、戦後の人工林化政策に抗し、50%の雑木林を保ってきた。これは十和が誇れる事の1つかもしれない。クヌギやコナラなどの広葉樹は、伐採後も萌芽更新(ほうがこうしん)により、切株から生える芽(ヒコバエ)を育てて森林を若返らせる。皆伐しても、植栽不要で成長も早く、持続的な生産が可能だ。酒井農園は20年後に立派に成長したクヌギ林を見据えて大きな重機を入れず、架線で集材している。
冒頭部に「僻地」と書いたが、僻地故に時には生き残りをかけて自然をよく観察し、活用する知恵や技術が浸透していったのかもしれない。そう考えると、僻地は、経済活動を行う上で不利な事はたくさんあるが、独自の文化や産業もまた生まれてくるのかもしれない。
青年二人がふるさとで第一次産業に就き、十和の伝統産業を担ってくれることは本当に素晴らしい事だと感じる。先人達がそうしてきたように、創意工夫しながら活路を見出し、さらなる発展を目指して欲しい。その調和が取れた持続可能な生業そのものが四万十川流域の風景を新たに織りなし、保全にもつながっていくと信じている。

