今日の午後は中土佐町久礼にて久礼の文化的景観の現地研修会。

四万十川流域では、流域5市町(津野町・梼原町・中土佐町・四万十町・四万十市)の教育委員会と高知県文化財課、それに私たち四万十川財団が一緒になって「四万十川流域文化的景観連絡協議会(長いので普段は「文景協」といいます)」という会を作り、情報共有や文化的景観を活かした連携事業を行っています。平成25年からの3年間は全国の大学から学生、大学院生を招いて流域の景観を学び、活かし方を考える『学生キャンプ』を行いました。その中で浮かび上がってきたのが「自分たち自身がもっと地元の景観について理解を深める必要がある」ということでした。それではということで、ここ2年間、各市町が順番で幹事となり現地研修を行うということをしています。ここ、久礼で4回目。

写真一番左が今回の研修をセッティングしてくれた中土佐町教育委員会の吉村さん。
一番右が現地講師の中城さん。中城さんは去年まで中土佐町の教育長を務めておいででした

ふるさと公園に集まり、久礼の概要について中土佐町教育委員会吉村さんから概要の説明を受けた後、純平タワー(避難タワー)へ。このタワーからは久礼の街が一望できます。

純平タワー 名前の由来は今更説明するまでもなく名作『土佐の一本釣り』の主人公小松純平から。

ここからはちょっとブラタモリ風に。

案内人;すぐ目の前に久礼八幡宮の社叢林がありますが、ここから見て何か気づかれませんか?

H田アナ;‥‥

案内人;こっちのお宮の方と、東側の方、八千代タワーがある方を比べてみると‥?

Tモさん;お宮のところが一番高い‥?

案内人;よく気づかれましたね。久礼八幡宮は久礼の街の海岸ばたにありますが、実はここが一番高い。標高で8メートルあります。ここから向かって右手、中ノ島の方にかけてどんどん下がる地形になっているんです。では、なぜこの海岸ばたが一番高くなっているんだと思いますか?

H田アナ;海岸線が一番高い?

案内人;ヒントはこの久礼の街が久礼川、元川、長沢側という三つの河川の河口にあるということです。

Tモさん; ‥ 砂州 ‥ということですね。

案内人;正解です。久礼八幡宮は砂州の上に立っているんです。だから今でも八幡さんの下を掘ると砂が出てきます。この純平タワーを建てた時、文化庁から重要文化的景観の重要構成要素である久礼八幡宮の目の前にこんなものを建てるとは何事かとお叱りを受けたんですが(神田注;厳密にいうと建てたことを叱られたのではなく、手続きが漏れたことが問題でした)、この街はここから東側、中ノ島地区あたりが一番低く、かつてはその辺りまで海が入ってきていました。その証拠に、今でもそこに川崎、円津(えんづ)、大門といった港関係の地名が残っています。洪水や津波の際はその辺りがいちばん最初に浸かり、だんだんこっちまで広がってくる。最終的にこの辺りで逃げ遅れた人は、もうここに避難タワーを造ることでしか救えない、そういうことでこの場所に避難タワーを建てたんです。

左に見えるのが久礼八幡宮社叢林。
ここから東側、写真右側に向かって土地が低くなっている。

このあと一行はここから写真右手の方、恵比寿神社へ移動します。そこから内港、大正市場を経由して八幡様まで戻ってきます。

街へと続く通路
恵比寿神社
木鼻の竜がかっこいいのと対照的になんと可愛らしい鯛の彫刻(建築はアレなんですが、蟇股でいいんでしょうか?どなたか教えてください)


ちょっとわかりにくいですが、ここから写真奥へ向かって土地が下がっています。
恵比寿神社のお隣の家 気さくなお母さんが話しかけてくれた

さすがは台風常襲地帯。土佐漆喰と水切り瓦の残る家もあります。ここのお母さんは、この部分が中二階になっていて、孫たちの遊び場だったと話してくれました。

途中の洋服店。これも土佐漆喰と水切り瓦。立派な作りです。
久礼内港

久礼の内港(ないこう)です。ここは一番小さな船が係泊されています。久礼には4つの港(外港・内港・新港・鎌田港)があり、それぞれ船の大きさで使い分けられています。


大正市場

かつて地蔵が沢山並んでいたので「ジゾウマチ(ジロウマチとも呼んでいたらしい)」という名だったこの通りは、大正4年の大火で焼失しましたが、大正天皇から350円をいただき復興しました。それを記念して今は「大正町市場」という名前になっています。ちなみにこの写真右手には平成通り、そのさらに奧には昭和通りがあります。(明治通りは残念ながらありません。)

梼原町の垣内さん、なんだか嬉しそう。晩酌のアテを物色しながらの散策ですか?

研修前、昼食は田中鮮魚店で天然ハマチ・トビウオ・アジの刺身とカツオのたたき、 3人で 締めて2100円を購入。ごはんと味噌汁250円を頼み食べました。1000円でおつりが来て刺身定食で満腹です。

八幡さん 正面から
久礼八幡宮

久礼八幡宮。旧暦8月14/15日に行われるお御穀(おみこく)さん(土佐三大祭りの一つ)が有名です。不思議なのは、久礼は何度も大火事に見舞われているにもかかわらず大松明をお宮に投げ込むような祭りをしていること。もちろん、この祭りで火事になったことはありません。

先ほど少し書いたように、ここがこのあたりで一番高くなっています。かつての記録に、津波から追われた住民が八幡さんへ逃げて助かったという話しも残っています。

さて、ここからは来た道をちょっと戻り、県内最古の酒蔵を持つ西岡酒造へ歩きます。

西岡酒造

天明元(1781)年創業の西岡酒造。海端なのにここで古くから酒造りをしているのは、良質の水があるからですが、その伏流水も扇状地の恩恵です。ご主人の西岡大介さんからは、伝統を受け継ぎながら新しい酒造りをしていく強い意志が感じられました。

せっかくなので。真ん中は県文化財課の廣田さん。梼原の大利さん(写真左)、大利さんは久礼出身。さすがに久礼の徳利が似合っています。

左から梼原町大利さん、県文化財課廣田さん、中土佐町吉村さん

西岡酒造の中にはギャラリーがあって、民具と一緒に青柳祐介先生の『土佐の一本釣り』の原画も展示されています。 これは純平と八千代の婚礼、嫁見よのワンシーン。権じい、嬉しそうですね。

こちらも青柳祐介先生の『川歌』原画。山童が遊んでいます。
これも『川歌』から。ずっと四万十川三島の沈下橋だと思っていましたが、今見るとちょっと違いますね。鉄道と沈下橋の位置関係、向こうに家がみえること、走っている汽車、この三点からそう判断します。

現地研修、それから事前学習(文景協であれやこれや下調べをします)を通して感じたことは、「災害に怯えない」久礼の人々の暮らしでした。津波の記憶はもちろん伝えられているし、その怖さも伝わっている。でも、海を離れて暮らすことはしないし、防潮堤を造るわけではない。大火の記憶もあるのに、街を練り歩いた大松明を木造社殿に投げ込むような祭りをする。火や水の力を決して馬鹿にしているわけではなく、むしろその怖さをよく知っているからこそ上手に付き合おうとする、それが久礼の景観を形作っているのではないかと感じました。面白い街ですね、久礼。ますます好きになりました。

中土佐町のみなさん、今回の研修、お陰様で大変有意義なものになったと思います。ありがとうございました。