四万十川財団旧HP上にあった「四万十まるごと博物館」内の掲示板に保存されていた四万十町檜生原(ひさはら)地区の聞き書きです。聞き書きをした正確な日時も場所も、話者も分からない、いわば不完全なデータですが、それでもここから分かる事もあると考え、アップすることにしました。

詳細は分かりませんが、〔748〕に来年は高知国体(2002年開催)とあることから、2001年の聞き書き作業だ思われます。また、文面等については、手を加えずそのまま転写を旨としました。分類についても当時のものに従っています。( [  ]で示される番号は掲示板の整理番号です。 )

聞き書き 四万十町檜生原

自然に関するもの  
[764]台風の時怖いき川口に避難する。
[759]この谷の奥に日本一の大桧がある。
[748]来年は国体があるから四万十川もきれいにしないといけない。
[686]うなぎは田んぼのよけ(水路)に来た。うなぎはのこぎりでたたいてとった。
[685]ふるさと再生で木や花を植える。
[684]井細川は良いが、四万十川は良くない。仁淀川の方がきれい。四万十川は基盤整備で流域河川がだめになった。
[683]川での遊び・・・夏休みにはいるといつも川へ行き鮎にぎり、夜づきをした。夜になると鮎も寝ている。終戦当時は大きい鮎が多かった。
[682]かさね岩と言う山があり山の尾根に重なった岩がある。足摺岬と室戸岬が見えるところがある。又、はいがらす山と言うカラスがはってあがったと言われている山がある。山同士がどっちが高いか競った。
[681]よせ(川草)で河原が通れない。田畑に使う肥料の養分が川に流れよせが成長した。昔は牛に食べらしていた。百姓の形態が変わった。よせは川をきれいにしている。
[680]井細川は本当にきれい。本流は汚い。
[679]水がいい、空気がうまい
[678]子供の頃夏休みには1日中川にいて、素手で鮎を獲った。昔はいくらでも鮎がいた。
[677]明治23年7月に大洪水があった。ごっぽり流されたらしい
[676]四万十川が天下の四万十という事になっているが実際はもっときれいで水量のある川がある。

動植物に関するもの  
[762]夜、たいまつなどでウナギを獲った時にかわうそらしいのがいた。かわうそがエンコウといわれてるのでは?
[761]げらん(木の根の毒)を流して魚を殺して獲っていた。かなりの毒性で全て死んでしまう。でもそれで死んだ魚を食べも大丈夫。
[760]ウグイが多い。若いもんの釣りの餌になっている。
[758]小さい時はかわうそもいたらしい。
[757]部落のシンボル①シイの木(大椎の木)周りが18m樹齢800年 個人の土地にある。下に民家があるので文化財にしにくい シンボル②大銀杏の木 樹齢100年は経っていない。
[756]環境が変わって鮎が少なくなった。毎年放流しないと鮎がいない。
[755]四万十川の鮎は都会からしたらえいもんでもニセモノも出回っているのでは?清流で泳いでいる大きい鮎はみばが良い。
[754]昔はイノシシのえさが山にあったが昭和30年頃から人工林になってからえさがなくなって民家(田んぼ)に入るようになった。

地域芸能に関するもの
[753]11月3日神祭お伊勢踊り(400年の歴史)円形で扇をもって踊る。おもに大人。円の中で太鼓をたたく(子供が2人)
[752]花取り踊り11月3日午後5時頃から 二部構成 大人(大太刀)子供(小太刀) 神社の祭りで河内神社と小松神社の祭り 伊勢と花取りを奉納
[751]民族意識の共有性・共通性があったから400年も続いた。(お伊勢)
[750]2月11日春の祭りには太夫が来て部落安全の為にお祈りをする。
[749]11月3日の花取り踊りは高知大から調査に来た。親戚が帰ってきてわりと賑やか
[747]お伊勢踊りは誰でも踊れる。
[746]花取り踊りなどは子供がいなくなったとしても続ける。
[745]伝統行事は守っていきたい。やめるのはしよいけど続けていくのに意義がある。
[744]花取り踊りの練習は約1ヶ月間4~6回 練習には交代で6~7軒ずつお弁当を出す。
[743]踊りには400年の歴史がある。
[742]花取りの歌に昔、材木を流していたことがあるような節がある。
[741]11月3日秋祭りにはお伊勢踊り(成人の男性)花取り踊り(たち踊り小中学生男子)を踊る。花取り踊りは男の子が少なくなったので女の子にも解禁した。10人ぐらいいないとできない。

地域の風習に関すること
[740]祭りの時はお餅をついてほおる。他の部落からも人が来る。

神社等に関するもの  
[708]部落の神社(建物)を保っていくのは大変

食文化等に関するもの
[689]りゅうきゅうでりゅうきゅう寿司を作ったりいのししを獲ってきていのしし鍋を作る。
[688]檜生原は昔からゆずがある。ゆずも昔からのゆずと現在のゆずと違いがある。昔のゆずは形が悪いが香り、味とも良い。今のはゆずは形はよいが香り、味とも良くない。S34.5年から作っている。
[687]昔はキビ飯、たいもばかりでうまいというものがなかった。

農業・林業に関すること
[737]奥に国有林があった。炭焼きさんが長者の方から来ていた。
[720]江戸時代おとめ山の木はみだりに伐ってはいけなかった。だから材質の良い桧が残った。
[719]農業だけではまかなえない。農業だけではなりたたないのではないか。
[717]現在の日本の生き方は農林漁業は必要でない。国内で手のかかるものを作らない。自分ところで作るものは必要でないという考え
[714]若い農林業の後継者がいない
[709]農業形態・・・いい(ゆい)共同でやることがなくなった。仕事は楽になったが金がかかる。
[706]農林業(兼業)が多い。専業農家は4.5軒
[705]今と昔の違い・・・食生活や農機具など・牛がいっぱいいた 敗戦後、馬から牛に変わった。なぜか?牛の方がおとなしいから使いやすい。牛も爪がちびてころころしている。
[704]農機具に変わってから仕事は早くなったが、金がかかるようになった。
[703]農業に魅力がない
[702]昔は全部牛で農作業をしていた。
[701]昔は共同で田ごしらえをしていた。田植えも皆でやっていた。
[700]農薬・化学肥料の流出 減反で畑が多くなる
[699]第1次産業を国の重要な課題にしなければいけない。自給しながら第2.第3の産業を築いていかなければいけない。
[698]下刈りや間伐が放置されている。だから保水能力がないので川の水量もない。
[697]区画整理は終わった
[696]林道が少ない。間伐材を運べないので腐らす事になる。
[695]農林業予算が少なくなっている。農林業が切り捨てられている。
[694]林道延長のネックは林道の入り口の田畑の提供をしてくれる人が少なくなり林道の開発が遅れている。ある程度の補償をしなくてはいけない。
[693]米を作られん減反なんていう事は、昔は考えられなかった
[692]農林業が不振になった訳は農産物の自由化、減反などであり、作っても安く林業は外材が入り間伐も進まず利用もないから
[691]農林業を継いでいる家3.4軒、農業や林業で生活ができていける様な状態にならないと後継者もできない。農林業の不振
[690]農業だけでは食べていけない。

その他
[765]大銀杏の話(伝説)ご神木としてあがめないといけない。先輩の話では怖い事があったらしい。
[763]おいその森 妊婦が森を通る時に狼がいるので鏡を持って歩き狼が出てきたらその鏡を見せ狼が鏡に写った自分の姿を見て逃げるはずが鏡を落としてしまい食べられたという怖い話。おいそ様には今も鏡をまつっている。
[739]親が子供を育てる環境が欲しい。つまり仕事が欲しい。部落のほとんどが町へ出る。後継者が町へ出ている。
[738]明治23年の大洪水の時桧を伐ろうとした人が一番先に流されたという話がある。
[736]檜生原部落について・・・子供がたくさんいた方がいい。檜生原小学校は昭和54年に川口小学校と統合し川口小学校へは現在12人通っている。保育園は昭和55年川口保育園と統合した。
[735]ふるさとは心のよりどころになる。若い者が戻ってきやすい様にして欲しいが集落だけでやっても無理。年寄りばかりになってしまった。後継者ができるようにせんといかん。
[734]9月15日敬老の日と運動会をする。昼まで運動会をして午後からは70歳以上に案内を出して酒を飲む。その時に山地さんがラッパを吹く。昭和54年に統合して以来ずっと運動会だけは檜生原でやると決めた。
[733]檜生原は40戸で人口は約100人以上。70歳以上が20人近く、若い人が少なくなってきている。
[732]今はないが檜生原小学校には多い時生徒が70人いた。
[731]心のよりどころになるふるさと作り
[730]後継者が残れるように
[729]高齢化になっても楽しんで暮らせるように
[728]檜生原部落は協調性がある。
[727]和やかなムードの中で生活
[726]檜生原部落の連帯作りに敬老会と運動会がある。
[725]檜生原の奥にある折合という部落は60年ぐらい前には幡多の領域であった。今は5軒あるだけ。
[724]若い人が少なくなったので行事を維持できない。
[723]この地区で遅れていることは道路である。危険な箇所やカーブが多い。行き違いのできない所が多い。今年は国体でどうにもならない。県道なのに他の町村より遅れている。
[722]定住しても暮らしていける見込みがないので若い人は出て行く。ここでやる仕事がない。
[721]檜生原自治会百年の歩みは平成6年に作った。
[718]檜生原は昔ヒソハラと呼んでいた。天理教の本殿建設には檜生原の桧が使われた。神木はとびつるを使ってはいけない。トロで出した。川口からは川で中村へ流し、中村からは船で運んだ。
[716]田舎は人間が減ってきて集落の維持ができない。自分ところのものは自分で作るという事をしなければ田舎はさびれていく。
[715]できるだけ衣食住は自給自足を維持できる部落であって欲しい
[713]以前は70戸ぐらいあったが、現在は40戸ぐらいでこのまま継続したい。
[712]部落皆がとけあって和やか。9月15日には敬老会と運動会をする。人情豊か
[711]子供と同居はしているが一緒に住んでいるだけで仕事が違う。
[710]今の若い人は昔の人が夢みたいに思っている事が現実になっている。例えば人、一人に車1台の時代
[707]花嫁不足 シングル男性が多い 人口110~120人(子供を含む) 住みやすい所・団結・協調する。